十九山達身寺

 道の駅あおがきから南下し、氷上町方面に向かう。

 兵庫県丹波市氷上町清住に聳える十九山の中腹にあるのが、曹洞宗の寺院、達身(たっしん)寺である。

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達身寺

 今の達身寺の前身となる寺院の開創については、古文書類が一切伝わっていないことから、ほとんど分かっていない。寺院の名前すら分からない。

 寺伝では、法道仙人か行基菩薩が開創し、中世には、十九山の山上に一大伽藍を築いた山岳仏教寺院だったようだ。

 だがそれが真言宗の寺院だったのか、天台宗の寺院だったのかも分かっていない。

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本堂

 寺伝によれば、前身の寺は、明智光秀丹波攻めに際し、反織田勢力だった保月城(黒井城)の荻野氏に味方したため、明智軍に伽藍を焼かれたとされている。

 この時に、仏像の焼失を免れるため、僧侶が仏像を寺から谷に運び下した。しかしその後仏像は、長年月の間、野ざらしの状態で放置された。 

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本堂内部

 元禄八年(1695年)、この地域に疫病が流行ったため、村人が占い師に占ってもらった結果、「三宝(仏・法・僧)を犯した仏罰である」と言われた。

 仏像を放置した罰だと思った村人は、十九山上の破損した達身(たるみ)堂を麓に下して修復して本堂とし、谷間から集めた仏像を安置した。

 そして、正徳二年(1712年)に、丹波国氷上郡の圓通寺大奄清鑑和尚により、達身寺という名で寺院が開創された。

 現在の達身寺には、前身となる寺院にて祀られていた仏像79体と仏像の破片134片が安置されている。

 主要な仏像は、宝物館で展示公開されている。

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宝物館

 宝物館は、入場料を払えば見学できる。ただし、写真撮影は禁止されている。

 79体の仏像の内、国指定重要文化財の仏像は12体、兵庫県指定文化財の仏像は34体、丹波市指定文化財の仏像は33体である。この内、国指定重要文化財の仏像は宝物館に安置されている。

 仏像の形のままで残っているのは全て一木造である。寄木造の仏像もあったようだが、山中に放置されている間にばらばらになってしまい、破片でしか残っていない。

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兜跋毘沙門天立像(達身寺ホームページより)

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本尊阿弥陀如来坐像等(達身寺ホームページより)

 達身寺の仏像の特徴は、下腹部が膨らんでいるところである。彩色は、おそらく江戸時代に谷から運ばれた時に補修したものだろう。

 宝物館には、平安時代初期の仏像が7体、平安時代後期の仏像が3体ある。本尊の阿弥陀如来坐像は、平安時代後期の仏像である。

 上の写真の兜跋(とばつ)毘沙門天立像も平安時代初期の作だが、寺伝では弘法大師空海が大同三年(808年)に彫ったものとされている。

 どの仏像からも、威厳のようなものを感じた。長い時を経た古い仏像だからだろう。

 それにしても、これだけの数の古い仏像を、こんな間近で拝観できる寺院はなかなかない。いい寺に来たものである。

 達身寺に伝わる仏像があまりに多いので、この地には丹波仏師の工房があったのではないか、という説もある。真相は闇の中である。

 達身寺の本堂裏山には、毘沙門堂があり、その裏には紅葉した木々が多数植えられている。

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毘沙門堂

 毘沙門堂に祀られている毘沙門天立像は、江戸時代に造られたものだろう。

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毘沙門天立像

 達身寺には、16体の毘沙門天像がある。確かに一つの寺院に16体もの毘沙門天像は必要ないだろう。ここに仏師工房があったという説も、なるほどと思われる。

 毘沙門堂の脇から、本堂や宝物館の裏を巡った。

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本堂裏山

 宝物館の裏に、鮮やかに紅葉した楓があった。

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宝物館の裏の楓

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 緑から黄を経て赤に変わる時期の楓が一番好きだ。

 十九山に大伽藍を持った山岳寺院があったのか、仏師の工房があったのか、今では定かではない。

 しかし、千年以上前の仏像が、歴史の激動に耐えて現代に伝えられ、今我々が拝観出来ることを、ただただ有難く思う。