若王山無動寺 若王子神社 後編

 無動寺本堂で五仏の参拝を終え、境内の西側にある鳥居を潜り、若王子神社に向かった。

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王子神社鳥居

 若王子神社は、無動寺の鎮守社として建てられた神社である。昔は若王子権現を祀っていたが、明治の神仏分離により、無動寺から独立し、若王子神社という名称となった。

 若王子神社の本殿は、永仁五年(1297年)に橘長綱が建てたと伝えられている。今の本殿は、棟札から、応永五年(1408年)に橘光綱が再建したものと分かっている。

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王子神社本殿

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本殿に鎮座する狛犬

 覆屋があることから、全貌を窺うことが出来ないが、覆屋があるおかげで、室町初期の建物にしては傷みが少ない。

 この建物は、形はオーソドックスな三間社流造であるが、屋根が二重になっていて、二重の屋根の間に一枚板の破風板が挟まっている。

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王子神社の側面

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二重の屋根

 こんな形の屋根を持つ神社建築は初めて見た。

 説明板に、覆屋で覆われる前の本殿の写真があった。大正時代の写真らしい。

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大正時代の若王子神社

 若王子神社がなぜこのような屋根を持つに至ったかは謎である。

 若王子神社本殿は、国指定重要文化財となっている。

 さて、一度無動寺境内に戻ると、奥の院への案内標識が目についた。

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奥の院への道

 奥の院は、大概山上にある。最近気が付いたが、今まで訪れた寺院で奥の院があったのは、天台宗真言宗の寺院だけであった。そういえば、禅宗や浄土系の寺院で奥の院がある寺院は聞いたことがない。

 天台宗真言宗の両方共密教系の宗派である。日本密教が山岳宗教である修験道と関係が深いことも影響しているのだろう。

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奥の院の門

 無動寺の奥の院は、境内から歩いて数分のところにある。弘法大師空海を祀る大師堂があった。 

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大師堂

 奥の院の付近には、石仏が多く祀られているが、その中にやはり役小角の石像があった。

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役小角の石像

 役小角修験道の開祖だが、真言宗の信仰の中にも取り入れられている。

 石像を見ると、高い歯の下駄を履いている。役小角は、実在の人物だが謎に包まれた人物で、死後は四国石鎚山に住む大天狗・石鎚山法起坊になったとされている。

 日本独自の信仰である修験道というものは、怪異譚に溢れていて興味深い。