淡路は、播磨、備前、美作、摂津、但馬、因幡、丹波に次いで、私が史跡巡りで訪れた8つ目の国となる。
淡路島は現在の行政区分では兵庫県に属するが、史跡を訪れてみると、文化圏としては四国の文化圏であると実感する。
紀伊、淡路、讃岐、阿波、伊予、土佐がかつての南海道だが、高野山と四国八十八ヵ所霊場を有する南海道は、真言宗の勢力が強く、淡路も真言宗の檀家が多い。
さて史跡巡りで初めて明石海峡大橋を渡った。
淡路側から本州を眺めると、大げさだが今まで住んでいた世界が「あちら側」に見えるようで、鏡の向う側に来たかのようだ。
ところで、平成10年に完成した明石海峡大橋は、全長3911メートル、主塔の高さは約300メートルで、吊り橋の規模を表す中央支間長(塔と塔との距離)は、世界最長の1991メートルを誇る。
潮流が速く、水深の深い明石海峡に架けられたこの橋は、橋梁建設技術の粋が集められた。
明石海峡大橋を渡ってすぐの淡路サービスエリアに接続して、兵庫県立淡路島公園がある。
公園内の昭和池に架かる塩屋橋は、大正7年(1918年)に今の兵庫県洲本市の洲本川に架けられた、兵庫県内最古の鋼鉄橋である。
ところで、兵庫県立淡路島公園には、テーマパーク「ニジゲンノモリ」があり、等身大のゴジラの上半身像があることで有名である。
私は子供のころからのゴジラファンだが、史跡巡りとは関係ないので、今回は訪問しなかった。
実は上の写真に、そのゴジラの背びれが遠く写り込んでいる。わかりにくいが拡大したらお分かり頂けるだろう。
さて、塩屋橋は、昭和33年に兵庫県美方郡浜坂町の岸田川に移設され、戸田橋として使用されたが、文化財としての価値が認められ、昭和61年に現在地に移設され、保存されることとなった。
現在は国登録有形文化財となっている。兵庫県内に現存する唯一のポニートラス橋であることが評価されたそうだ。
さて、次に淡路市岩屋にある岩屋神社を訪れた。
岩屋神社は、第10代崇神天皇の御代に創建されたと伝わる。元々は、約300メートル北方の三対山上にあったと言われているが、永正七年(1510年)に大内義興が三対山に岩屋城を築いた際に、現在地に移されたという。
岩屋神社には、古くはないが、立派な長屋門がある。
岩屋神社の祭神は、国常立尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊である。祭神は、古くは天地大明神、絵島明神、岩屋明神と呼ばれた。
社伝によると、神功皇后の三韓征伐のおり、皇后が対岸の明石垂水の浜で風波にあわれて渡海に難渋し、風待ちのため岩屋に着岸した。
皇后は、三対山上の石屋明神に参拝し、戦勝を祈願され、「いざなぎやいざなみ渡る春の日にいかに石屋の神ならば神」と詠じ給うと、風波が止み、海上は静まったという。
拝殿の扁額には、「天地(あめつち)大明神」と書かれている。
岩屋神社は、仁安三年(1168年)に、二条天皇から天地大明神という神名を賜ったという。
日本各地の神社の祭神名は、明治維新以降一新された。それまで崇められていた神名が、明治になって変更された神社が多い。
しかし、拝殿の扁額には、江戸時代まで崇められた神名が書かれていることが多い。
拝殿の前に、俳優渡哲也が奉納した灯籠があった。
昨年亡くなった俳優渡哲也は、今の淡路市岩屋出身である。
私は10年前、NHKがドラマ化した司馬遼太郎原作「坂の上の雲」を観て、東郷平八郎役をした渡哲也の渋い演技に感心した。
昭和、平成を代表する俳優も、故郷の氏神様のことは忘れず大事に思っていたようだ。
神社の前の海岸からは、海の向こうの神戸市街や鉢伏山が見える。
古くから、この海岸から対岸の様子が眺められたことだろう。
源平合戦の時は、ここからも赤旗と白旗が入り乱れる様子が見えたのではないか。神戸大空襲の際は、夜間に燃えさかる神戸市街が見えただろうし、阪神淡路大震災の時は煙りを上げる神戸市街が見えたことだろう。
淡路は、畿内と四国の間に位置する島である。古くから国生みの島とされ、歴史上独特の位置にあった。
これからの史跡巡りで、そんな独特な淡路の歴史に触れることが出来たらいいと思う。