常勝寺と同じく丹波市山南町谷川の集落内にあるのが、高座(たかくら)神社である。
高座神社は、丹波国造家の創建と伝えられる。
国造(くにのみやっこ)とは、律令制度以前に、朝廷から軍事、裁判権を含めた自治権を与えられた各国の首長である。今で言えば県知事に近い存在だが、地方の有力豪族が大和政権に服属し、そのまま国造になった例が多いとされる。
律令制が成立してからは、地方の政治権力は朝廷が任命した国司や郡司に移り、国造は自家の祖神を祭祀する役割が与えられた名目上の存在となった。
出雲国造家の千家(せんげ)家は、出雲大社の宮司の家として現代も血筋が続いており、出雲では島根県知事よりも尊重されているという。
随神門を潜り、高座神社の境内に入って行く。境内には、兵庫県指定文化財となっているマメ科の落葉高木のフジキがある。
フジキはヤマエンジュとも呼ばれ、夏になると枝先から白い花が咲く。総高約20メートルにもなるこのフジキは、全国的にも珍しいものであるらしい。
私が訪れた時は、紅葉は終わりかけだったが、境内の楓が紅く色付き、公孫樹の葉が地面に落ちて風情ある景色だった。
拝殿の前の石造鳥居は、元禄六年(1693年)に造立されたもので、丹波市指定文化財となっている。石材は谷川の奥山から切り出したものらしい。
石造鳥居の周囲の地面には、一面に公孫樹の葉が落ちている。
高座神社は、丹波国造家の祖神である、高倉下(たかくらじ)命を祭っている。
初代神武天皇が東征をした時に、熊野の地に上陸したが、東征軍一行はそこで悪神の邪気により倒されてしまった。
高天原から地上に降りた高倉下命が、建御雷神が使用していた神剣布都御魂(ふつのみたま)を神武天皇に献上したところ、天皇はその剣で邪気を払い、大和まで進撃することが出来たという。
五間流造で、正面に3つの千鳥破風と唐破風の向拝を有する特異な形状の本殿だ。
今の高座神社本殿は、宝永二年(1705年)に建立されたもので、地元谷川の大工清水武右衛門を棟梁として建てられたものである。
檜皮葺の屋根が綺麗に葺き直され、本殿の彫刻が鮮やかに彩色されていて、創建時の姿を彷彿とさせる。
軒を支える斗栱の構造も複雑だ。
当時の大工たちが、腕によりをかけて築いた社殿だ。
高座神社は、元々は金屋村にあり、鎌倉時代にこの地の地頭となった久下氏の祈願所となったが、弘治三年(1557年)に神託により現在地に移された。
江戸時代には、柏原藩主の織田家から篤く尊崇され、社領の寄進を受けた。
本殿の裏山を少し登ると、奥の宮がある。
境内には静かな時間が流れている。私が訪れた時は、巫女さんが拝殿を掃除しておられた。
目に見えないものに仕えている人を見ると、こちらも敬虔な気持ちになる。
高倉下命は、御自身が神剣を献上して助けた神武天皇が開いた国家の守り神として、今も我が国を見守っていることだろう。