姫路城 その3

 西の丸を見学し終わると、いよいよ本丸に向かうことになる。

 西の丸から「はの門」方向に近づくと、西小天守と乾小天守を前に控えた大天守が見えてくる。

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西から見た天守

 姫路城の天守は、五層七階の大天守と、その周囲に控える東小天守、乾小天守、西小天守の3つの小天守で構成されている。

 この小天守の存在が、大天守の存在を引き立てている。 

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はの門

 はの門を潜り、城の中枢に入っていく。しかし天守にはなかなか辿り着けない。入り組んだ迷路のような道を歩くことになる。

 はの門を潜ると目の前に現れるのは、にの門の櫓である。

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にの門の櫓

 にの門の櫓には、十字紋のついた鬼瓦がある。

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十字紋瓦のある櫓

 私のRX100の望遠機能では、これが限界だが、中央の鬼瓦を拡大すれば、十字形が見えてくる。キリシタン大名となった黒田官兵衛が城主の時の瓦ではないかと言われているが、黒田官兵衛キリシタンになった時には、官兵衛は既に姫路城から退去している。なぜここに十字紋瓦があるのか謎とされている。

 更に進むと、「扇の勾配」と呼ばれる石垣が見えてくる。石垣の勾配が、開いた扇の曲線に似ていることからついたニックネームである。

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扇の勾配

 上に行くほど反り返る勾配は、敵に石垣をよじ登らせないための工夫である。

 にの門は、天井が低く、長槍を持った兵が入りにくいようにしてある。

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にの門

 また門扉には鉄板を張っている。心憎いほど手の込んだ防御態勢だ。

 にの門を潜ると、ようやく間近に天守が見えてくる。

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手前が乾小天守

 上の写真手前が乾小天守である。乾の方角、つまり天守の北西に来たわけだ。

 次なる門は、ほの門である。

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ほの門

 ほの門は、埋門(うずみもん)と呼ばれる門である。埋門には、城の土塀を切り抜いたものと、石垣そのものを切り抜いたものの2種類あるが、ほの門は前者になる。なぜこんな小さな門を備え付けているかというと、これも防備のためである。

 ほの門を潜ると、すぐに上り階段になる。門の扉を閉めて、扉の内側の階段の上を石で埋めれば、文字通り門が埋まって開かなくなる。全て戦闘のために造られている。

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油壁

 ほの門を通ると、すぐ右に油壁が聳える。

 ほとんどの土塀が白い漆喰で塗り固められた姫路城の中で、地肌が露出した油壁は異色の存在だ。この壁は、秀吉時代の姫路城の遺構とされている。

 粘土に豆砂利を混ぜて、米のとぎ汁で固めたものとされているが、なぜここだけ漆喰塗籠ではないのか、正確なことは分からない。

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ロの渡櫓

 ほの門から入ると、姫路城天守の北側になるロの渡櫓が見える、姫路城を北側から見ることは少ないので、なかなか珍しい光景だ。

 大天守と3つの小天守を結ぶ4つの渡櫓は全て国宝に指定されている。

 写真の油壁の奥に見えるのが、水の一門である。ここから天守に辿り着くには、水の一門から五門まで、五つの門を突破しなければならない。

 どれも狭い門で、ここを通過するには、進撃速度を下げるしかない。

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水の二門

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水の三門

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水の四門

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水の五門

 私が登城した日は、暑くて暑くて、城に登るだけでも大変だったが、この城を攻撃する場合、天守や櫓から雨あられのように降り注ぐ石や矢や弾丸をくらいながら、これら狭い門を突破していかなければならない。

 そして、水の五門を抜けると、狭い空間に入ることになり、鉄砲狭間がこちらを狙っていることに気づく。

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水の五門を入った場所

 姫路城は、優美なその姿と裏腹に、実態は籠城戦に徹底して備えた、「戦う城」であった。姫路城は、歴史上ほとんど実戦を経験しなかったので、「不戦の城」とも呼ばれるが、城としての戦闘設備が整っているからこそ、単なる文化財ではない城郭建築としての価値があるのだろう。

 猛暑日に訪れたので、城の設備をじっくり見る余裕がなかったが、過ごしやすい季節にもう一度来て、隅から隅まで見てみたいものだと思った。

 水の五門を潜ると、丁度大天守と西小天守の間に入ったことになる。ここから大天守に上がる石の階段がある。

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天守に上がる石段

 この階段は、約400年前に池田輝政が大天守を築城してから、ずっと使われ続けているものである。

 昔武士が草鞋を履いて登った石段を、現代の観光客がスニーカーや革靴で踏んでいる。姫路城は、遥かな時間を旅して現在まで生き延びてきたが、この石段は、時間の経過をよく知っているだろう。

 姫路城は戦うために出来た城である。しかし、この城の籠城戦のための設備が、ついに使われずに現代に残ったのは、城にとっても人類にとっても、幸せなことであった。