書写山圓教寺 前編

 姫路市にある天台宗の寺院、書写山圓教寺(えんぎょうじ)。ここは西国三十三所観音霊場の第27番札所である。書写山上に聳え立つ数々の伽藍の壮大さから、西の比叡山と呼ばれる。

 今では、トム・クルーズ主演映画「ラスト・サムライ」や、ドラマ「軍師官兵衛」「本能寺ホテル」「関ヶ原」などのロケ地としても著名である。

 圓教寺は、康保三年(960年)、性空上人によって開創された。上人が書写山に登った時、夢に現れた文殊菩薩から、「この山に登る者は菩提心を起こし、また峰に住む者は六根を浄められる」とのお告げを得た。そこで上人は、この山に寺を建てたという。

 古くから朝廷の信仰を集め、当時の宮廷貴族たちが参籠したことで、大和の室生寺、近江の石山寺延暦寺などと並んで、古典文学に出てくるお寺である。

 書写山の標高は、371メートルである。登るのに手ごろなため、ハイキングコースとしても親しまれている。

 しかし、多くの人が利用するのが、麓の駅から山上駅まで運んでくれるロープウェーである。私も、上りは横着してロープウェーを使った。

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書写山ロープウェー

 ロープウェー山上駅からは、平坦な道になるので、気軽な気分で参拝できる。

 山上駅から山門までの参道には、西国三十三所観音霊場それぞれのご本尊となる観音様の銅像が並んでいる。

 圓教寺のご本尊の六臂如意輪観世音菩薩像は秘仏であるが、毎年1月18日に開扉され、拝観することが出来る。

 今日は当然拝観できなかったが、参道でご本尊を再現した銅像が出迎えてくれた。

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六臂如意輪観世音菩薩像

 不適切な表現かも知れないが、ちょっとエロチックな像である。

 三十三所霊場ご本尊の銅像は、どれも見事だが、私の気に入ったのは、第9番札所、奈良の興福寺南円堂のご本尊、不空羂索観音像である。

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不空羂索観音

 優しさの中に凛とした強さを感じる。

 しばらく行くと、仁王門がある。ここからが、圓教寺の境内になる。

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仁王門

 仁王門は、兵庫県指定文化財である。寛文五年(1665年)の建築。ちなみに、圓教寺境内は、国指定史跡となっている。

 仁王門を過ぎて歩くと、右手に、壽量院が見えてくる。

 壽量院は、承安四年(1174年)に後白河法皇が参籠されたという記録が残っており、寺域内で、最も格式の高い塔頭寺院である。

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壽量院への石段

 壽量院は、国指定重要文化財である。しかし、一般公開していないので、拝観できなかった。

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壽量院

 更に参道を進むと、今度は右手に十妙院が見えてくる。

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十妙院

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十妙院

 十妙院は、元々赤松満祐が、16歳で亡くなった娘の供養のために建てたものらしい。

 瓦の紋章は、赤松家の紋章である右三つ巴ではなく、左三つ巴だが、何かいわれがあるのだろうか。

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左三つ巴

 今の十妙院の建物は、江戸時代の建築である。

 赤松満祐は、6代将軍足利義教を殺害したせいで、天皇から赤松追討の綸旨が出され、朝敵となって攻め滅ぼされた人物だが、やはり人の子だったのだろう。

 更に参道を進むと、湯屋橋がある。

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湯屋

 湯屋橋は、元和三年(1617年)に、池田光政の転封に伴い、姫路藩主となった本多忠政が造らせたものである。

 本多忠政は、徳川四天王と呼ばれた猛将本多忠勝の子である。忠政は、姫路城主となってから、圓教寺に来てみて、その荒廃に驚いたという。

 秀吉が、別所長治の離反に対して書写山に陣地を構えたことから、圓教寺は荒廃した。秀吉は、圓教寺の寺宝の数々を、領地である近江の長浜に持ち去ったとされている。

 圓教寺にとっては、秀吉による播磨統治の時代は、受難の時代であった。
 本多忠政は、一門、家臣、城下で寄進を募り、圓教寺再興に尽力した。以後、圓教寺姫路藩本多家の菩提寺となる。

 湯屋橋を過ぎると、いよいよ目の前に摩尼殿が見えてくる。

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摩尼殿

 摩尼殿には、ご本尊の六臂如意輪観世音菩薩像と国指定重要文化財である四天王像を祀る。

 摩尼殿は、天禄元年(970年)に建てられたとされる。桜の霊樹を天人が礼拝するのを見た性空上人が、その桜の木を彫って作ったのが、ご本尊の六臂如意輪観世音菩薩像と言われている。

 前摩尼殿は、大正10年(1921年)に焼けてしまった。今の摩尼殿は、昭和8年の再建である。清水寺のような、舞台造である。国登録有形文化財だ。

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摩尼殿を見上げる。

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摩尼殿の正面。

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摩尼殿廊下。

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摩尼殿内陣

 今日は、気温34℃くらいにはなっていたと思うが、摩尼殿に上がると、涼しい風が吹き渡った。周囲の緑と相俟って、ひと時の涼を味わうことが出来た。

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摩尼殿から見る緑。

 さて、摩尼殿から降りて、参道を更に進む。

 右手に異様な千体地蔵が見えてくる。

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千体地蔵

 千体地蔵を横目に参道を歩く。ここまでで、全体の三分の一ほどである。さすが、西の延暦寺である。

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参道を行く。

 圓教寺境内には、外国人観光客も行き交っているが、日本人の登山客も数多く歩いている。書写山が、手ごろな高さの山であることと、山上の文化遺産の豊富さが、多くの人に愛される理由だろう。

 性空上人がこの地を霊場に選んだのも、先見の明があったものと思われる。