白旗城跡

 赤松円心が築城し、その後赤松氏の本拠地となった白旗城跡は、宝林寺から車で少し走ったところにある。兵庫県赤穂郡上郡町にある赤松という集落に登山口がある。

 ここは、赤松氏ゆかりの相生市の感状山城、姫路市夢前町の置塩城と共に、国指定史跡となっている。

f:id:sogensyooku:20190723203016j:plain

白旗山遠望

 城跡は標高は440メートルの白旗山の山上にある。蒸し暑い日だったが、頑張って登ってみた。

f:id:sogensyooku:20190723203149j:plain

登り口

 登り口には、山中の野生動物が外に出てこないように、ゲートが設置してある。不落の城であったことから、「落ちない城」として、受験生にアピールしているようだ。

 登り始めると、最初は平坦な道だが、途中から岩石がごろごろしだして、石の上を歩くようになる。

 白旗山は、岩石が豊富にある山で、赤松円心が籠城して新田軍と戦った時も、攻め上ってくる新田軍に対して落とす石には困らなかったらしい。

f:id:sogensyooku:20190723203936j:plain

新田軍に落とした石か。

 登山道や、道の横の斜面には、大きな石が転がっている。これらの石が、赤松軍が新田軍に落とした石ではないかと思う。今や苔むして、半ば土に埋もれている。

 途中から急坂となり、足元も岩だらけになる。

f:id:sogensyooku:20190723204256j:plain

途中の石垣の名残。

 途中ところどころ、石垣の名残が見える。

f:id:sogensyooku:20190723204454j:plain

転がる岩石の上を歩く。

 行程の真ん中辺りで、苔むした岩石群の上を歩いていかなければならなくなる。写真の岩だらけの谷間は、これでも登山道である。足元が滑りやすいので、注意しながら歩く。

f:id:sogensyooku:20190723204727j:plain

二の丸跡

 私が登った日は、曇った湿気の高い日だった。山中は、より湿気が高い。眼鏡が曇り、体が汗まみれになる。

 負けじと登ると、ようやく平坦な場所に出た。二の丸跡であった。ここから本丸跡はすぐである。

f:id:sogensyooku:20190723205017j:plain

本丸跡

 本丸跡には、白旗城跡の説明板がある。

f:id:sogensyooku:20190723205213j:plain

白旗城平面図

 白旗城は、戦国時代に本格的な山城に整備された。説明板の白旗城の年表を見ると、康安元年(1361年)、赤松則祐が、幼いころの足利義満を白旗城に迎え入れたとある。義満3歳の時である。

f:id:sogensyooku:20190723205450j:plain

白旗城の歴史

 白旗城は、歴史の一翼を、一度ならず何度も担ったようだ。

 眼下には、赤松の集落が見える。

f:id:sogensyooku:20190723205849j:plain

眼下の赤松の集落

 白旗城跡には、城の遺構と言えるものは、あまり残っていない。白旗城址の碑が建っていることで、かろうじてここが城跡と分かる。

f:id:sogensyooku:20190723210008j:plain

白旗城址之碑

 しかし、典型的な中世の山城として、何度も歴史の舞台になった白旗城は、もう少し注目を浴びてもいいと思う。

 この前、姫路のジュンク堂書店に行くと、ミネルヴァ書房の「赤松氏五代」という本が目に付いた。

 赤松氏は、鎌倉幕府に反抗したり、後醍醐天皇に歯向かったり、室町幕府将軍を暗殺したり、三種の神器を奪ったりして、中世日本で旧来の権威を恐れず暴れたが、良く解釈すると、古い秩序を壊して実力主義の下克上の時代を準備した一族と言えるのかも知れない。

 その赤松氏も、戦国時代に入り、元々家臣だった播磨国守護代の浦上氏に乗り越えられて、自らが下克上に直面する。

 「赤松氏五代」、今は忙しいが、いずれ買って読んでみたいと思う。