亀山本徳寺本堂に渡り廊下で接続する中宗堂は、国登録有形文化財である。
中宗堂には、浄土真宗の中興の祖である蓮如が祀られている。華麗な祭壇である。蓮如の時代に、浄土真宗は日本中、特に北陸に広まることになる。
本堂から、渡り廊下を通って北に行くと、大広間がある。
大広間の前には、永禄九年(1566年)の銘のある梵鐘がある。英賀御堂の時代から伝わる梵鐘である。
大広間に入ると、見事な書院造の座敷になっている。
大広間奥には、英賀御堂時代の鬼瓦が展示されている。これも永禄九年(1566年)の作である。作者の宗右衛門は、英賀城落城後、秀吉に重用され、瓦大工棟梁として、姫路城を始め数々の寺社城の建築に携わる。
額に「王」とあるところからして、閻魔大王だろうか。なかなか迫力ある瓦だ。現代の漫画にでも出てきそうなデザインで、とても戦国時代の作とは思えない。
天井には、たつの市揖保川町にある永富家出身の鹿島守之助の娘・石川ヨシ子が描いた格天井画がある。
なかなか細密に描かれた画である。鹿島守之助は、鹿島建設の中興の祖だが、亀山本徳寺の信徒総代を務めたこともあった。
娘の石川ヨシ子が、平成3年に、本徳寺格天井画の損傷が著しいことを知り、父の供養のため、修復を発願した。
大広間には、その他にも、付書院や欄間など、見所が多い。
大広間と庫裏の間には、大玄関がある。亀山本徳寺の客を迎える場所である。
大事なお客を迎える時だけ使われ、普段は閉鎖されているのだろう。
庫裏は、日常的に寺務で使用している建物である。
大広間に隣接して、大広間北殿がある。
大広間北殿に入ると、昭和51年に関保壽という画家が描いた襖絵が広がる。
襖絵は、色があせている。描かれた当時の色彩が見たいものだ。
亀山本徳寺は、おそらく兵庫県の浄土真宗の寺としては、最大級のものだろう。
日本という国では、建物はすぐに潰されて建て直される。古くから残る建物は、文化財として優れているか、宗教施設として信仰を集めているかのどちらかだ。
英賀御堂の時代から現代まで、変わらぬ信仰を集めている亀山本徳寺を拝観して、人間の一種の執念のようなものを感じた。
最終的に残ったのは、信長でも秀吉でもなく、英賀城の時代から現代まで続く亀山本徳寺であった。