栃本廃寺跡

 山崎城跡の見学を終えて、車で東に走る。

 鳥取市国府町栃本にある国指定史跡・栃本廃寺跡に立ち寄った。

栃本廃寺跡

 栃本廃寺跡は、鳥取県兵庫県の県境に聳える標高1310メートルの扇ノ山に連なる山系の麓付近にある。

 ここは昔から塔心礎が2つ露出していたため、昭和10年に寺院跡として国指定史跡になったが、平成9年から行われた発掘調査で、講堂、金堂、南塔が南北に並び、金堂の東側に東塔が建つという特異な伽藍配置の寺だったことが分かった。

発掘の状況

栃本廃寺跡の伽藍配置

栃本廃寺の伽藍復元図

 私も今まで多くの廃寺跡を見てきたが、金堂の東と南に塔が建つ配置は初めて見た。

 栃本廃寺は、白鳳時代の7世紀後半から平安時代中期の10世紀初頭まで存続した寺院であった。

 豪雪地帯の山奥に建てられたので、堂塔の屋根に重量がかかる瓦は一切使われていなかったという。

 廃寺跡の東側には、溝状の遺構がある。

溝状遺構

 山から流れてきた水を、南の大石川に流すための設備だろうか。

 南塔跡の真南に立って北を眺めると、南塔が金堂の真南に位置していたのが分かる。

南から南塔跡、金堂跡、講堂跡

南塔跡

南塔心礎

 塔心礎は、仏塔である三重塔の中心に建つ心柱を床下で受けた礎石である。丸い穴は、受けた柱の形と太さを現わしている。

 穴の直径からすると、そう高い塔ではなかったようだ。

東塔跡

東塔心礎

 心なしか、東塔心礎の穴の方が南塔心礎の穴より大きいような気がした。東塔心礎の方が石が小さいから穴が大きく見えるのか。

 心礎の穴に溜まった水は、空を映し出していた。白鳳時代から開いている穴だ。

 金堂は、今でいう本堂で、本尊となる仏像を祀っていた建物である。

金堂跡

金堂周辺の敷石

 金堂の基礎部分の基壇は、発掘当時のものをそのまま展示している。今見える金堂跡の基壇は、寺院建立時のものと同じである。

 基壇の周りに敷石があるが、これも建立時から変わらないものだろう。

 金堂の基壇は小さく、小規模な寺院だったことが分かる。

 金堂の北側の講堂の基壇は、保護のために埋め戻し、その上に新しい基壇を築いて展示している。

講堂跡

講堂跡の礎石

 講堂は、僧侶たちが教義を学んだり読経をした建物である。礎石の数からすれば、講堂の大きさは桁行五間、梁間四間である。それほど大きくはない建物だった。

 栃本廃寺跡が、なぜこのような山奥に建てられたのか、理由は分かっていない。

 しかし少なくとも約350年は続いた寺院である。ここに建てられた必然はあったのだろう。

 塔心礎は穴に溜まった水に空を映しながら、何か言いたげである。もう少しで、この寺院が建った時のことを聞くことが出来たような気がした。