賞田廃寺跡

 古代吉備の有力豪族上道臣(かみつみちのおみ)が白鳳時代に造営したとされる寺院の跡が、賞田廃寺跡である。岡山市中区賞田にある。

 賞田廃寺跡は、瀧ノ口山の南麓に広がる、広大な公園のような空間の中にある。

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賞田廃寺跡

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賞田廃寺跡見取図

 賞田廃寺は、出土した瓦の量から、創建時は小さな寺院だったと考えられている。

 7世紀後半に金堂が、8世紀半ばに東塔と西塔が建てられた。

 写真の見取図のとおり、東塔と金堂が接近した、変則的な双塔式伽藍が築かれた。

 賞田廃寺は、南北約90メートル、東西約140メートルの塀で囲まれていた。南側の塀跡からは、直径60~100センチメートル、深さ60~80センチメートルの柱穴が、2.1メートル間隔で並んでいるのが発見された。

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南側塀跡

 柱穴跡には、一部に柱の根元が残っており、水に強いコウヤマキが使われていたことが分った。

 発掘された遺物から、南側塀跡は、9~10世紀の掘立柱塀の跡だと考えられている。

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東塔と金堂の基壇

 昭和45年の発掘により、賞田廃寺の東塔と西塔の基壇は、讃岐産の凝灰岩の切石を使った壇正積基壇であることが分った。壇正積基壇は、畿内の有力寺院に使用される格式の高いものであるという。

 東塔の基壇には、延石と地覆石しか残っていなかった。今はその上にコンクリートを用いて基壇が再現され、礎石が元の位置に置かれている。

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東塔基壇の復元

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東塔の礎石

 発掘された東塔基壇の東階段は、当時の状態が良好に保存されていた。

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東塔東階段

 当時の基壇は、東階段のように、凝灰岩製切石が整然と積まれた美しいものだったろう。

 西塔の基壇は、西辺の北側と東階段の基礎部分だけが残っている。今はその上にコンクリート製の復元基壇が載っている。

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西塔基壇の復元

 西塔基壇の南側には、幅3メートル、奥行き1.5メートルの階段が設置されてる。

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西塔南側階段

 どうやらこの南側階段は、当時のものそのままのようだ。

 金堂は、今の寺院の本堂と同じで、御本尊の仏像を祀った寺院の中心となる建物である。

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金堂基壇の復元

 金堂基壇は、黄色や黒色の土を互い違いに突き固めて築かれ、東西約15.5メートル、南北約12.6メートル、高さ約1.5メートルの大きさに作られていた。

 基壇周囲から大量の瓦が発掘されたが、大半は7世紀後半の瓦で、金堂が白鳳時代に建てられたものであることが分った。

 金堂は、14世紀前半に火災に遭って焼失したと言われているが、約700年に渡って修復されながら使われ続けたようだ。

 賞田廃寺の礎石の一部は、一昨日に紹介した脇田山安養寺と高島小学校で大切に保管されていた。

 賞田廃寺の基壇復元整備に当って、安養寺と高島小学校が礎石を提供した。

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金堂の礎石

 手前の黒ずんだ礎石が、安養寺で保管されていた礎石である。白鳳時代から使われ続けた礎石だ。

 私は今まで、白鳳時代に創建された寺院や廃寺を数多く訪れて来たが、その当時の建物が現存している寺にはお目にかかったことがない。

 そう思うと、白鳳時代に再建された木造建築がそのまま残る大和の法隆寺は、日本というより世界の奇跡であると思う。

 賞田廃寺は、14世紀前半に火災で焼失したようだが、その後西塔の奥に本堂が建てられた。

 中世本堂跡として、礎石が残っている。

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中世本堂の礎石

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中世本堂復元図

 中世本堂跡からは、文明八年(1476年)の銘のある瓦が出土している。中世本堂が建てられた年代は、その頃であろう。

 今まで白鳳時代創建の寺院や廃寺を訪れて来たが、中世になって廃寺になってそのまま再建されずに現代に至っている寺院は、朝廷が建てた官制の寺院か、地元豪族が建てた寺院であることに気が付いた。

 法道仙人や、行基菩薩、報恩大師といった個人が建てて、開基の僧ゆかりのものと伝わる仏像が残っている寺院は、焼けた後も再建されて現在に至っている。

 僧侶の開基伝説が残る寺院は、始まりに信仰心があったことが明瞭なので、人々も廃絶してはならないと思うのであろう。