伝淳仁天皇高島陵のある丘からは、伊弉諾(いざなぎ)神宮の社叢を見下ろすことが出来る。
上の写真中央のこんもりした杜が、伊弉諾神宮の神域である。伊弉諾神宮は、淡路市多賀にある。
伊弉諾神宮は、記紀神話で、日本列島や数多くの神々を生み出した夫婦神の伊弉諾尊と伊弉冉(いざなみ)尊を祭神とする。
伊弉諾尊は、国生みと神生みの事業を終えた後、淡路国多賀に住み、ここで亡くなったとされる。
伊弉諾神宮は、伊弉諾尊の陵墓の上に建てられたと伝えられている。
伊弉諾神宮は、淡路国一宮であり、旧社格制度では官幣大社である。非常に格の高い神社である。
当ブログで紹介した一宮としては、播磨、美作、但馬に次いで四つ目の一宮である。
記紀神話で、伊弉諾尊と伊弉冉尊の男女神が、淤能碁呂(オノゴロ)島に降り立って結婚し、天の御柱(みはしら)と八尋殿(やひろどの)を建てて、「みとのまぐわい」(性交)をし、淡路、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州という大きな八つの島を生んだとされる。
日本はそのため、大八島国とも呼ばれる。
伊弉冉尊は、その後、海や山や草や野や風の神など、自然界や自然現象の神々を生み出していく。
そして最後に火の神・迦具土(かぐつち)神を生むと、陰部が焼けてしまって、病に臥すこととなり、しまいに死んでしまった。
伊弉冉尊は、病の間も吐瀉物などから神々を生んでいく。
病に倒れ死んだ伊弉冉尊は、黄泉(よみ)国の住民となる。伊弉諾尊は、黄泉国に赴き、妻に逢いに行くが、伊弉冉はもう生き返ることは出来なかった。
伊弉諾尊が、死んだ伊弉冉尊の醜い姿を覗き見たため、怒った伊弉冉尊が伊弉諾尊を追いかけた。黄泉比良坂で最後の夫婦喧嘩をして、二人は永遠に別れることになる。
さて、参道を進むと、左手に日時計と石碑が見えてくる。
石碑を見てみると、伊弉諾神宮を中心として、日本の聖地が配置された地図が刻まれている。
伊弉諾神宮の東西南北と、夏至と冬至の日の出、日の入の方角に、日本を代表する神社があることを示す図である。
この図の通り、人為的に各神社が配置されたのだとすれば、最初に伊弉諾神宮が建てられて、その後、各方角に各神社が建てられたことになる。
この配置に何か意味があるのかどうかは、私には分らない。
日時計の周囲には、各方角にある神社の名を刻んだ石が配置されている。
伊弉諾神宮は、日本の国土と神々を生んだ伊弉諾尊の御陵に建つ神社なのだから、ここを中心に何者かが聖地を配置していったこともあり得る話だが、裏の取りようがないことだ。
神社の境内には、広大な神池があり、石橋が架かっている。
さすがに日本の祖神を祀る神社だけあって、参拝客は多い。
神門を潜ると、社殿のある空間に入ることになる。
拝殿の前は茅の輪くぐりをくぐる参拝客で渋滞している。社殿は次回に紹介するとして、境内の末社を紹介したい。
小さいながら興味深いのは、左右神社である。
黄泉比良坂から生還した伊弉諾尊は、死の穢れを祓うため、阿波岐原で禊をする。
この時に顔を洗った伊弉諾尊の左目の雫から天照大神が生まれ、右目の雫から月読(つくよみ)尊が生まれ、鼻の雫から素戔嗚尊が生まれた。
左右神社は、伊弉諾尊の左右の目から生まれた天照大神と月読尊を祀る。
天照大神と素戔嗚尊からは数々の神々が生まれ、その子孫が皇室を始め日本の氏族の祖になっていく。
伊弉冉尊から日本の国土と自然現象が生まれ、伊弉諾尊から人間が生まれたと言ってもよい。
日本神話の構成は、よく読んでいくと、非常に巧みに出来ている。
伊弉諾神宮の夫婦大楠は、樹齢約900年、樹高約30メートル、幹囲約8メートル、幹が途中で2つに分かれている。
この楠は、淡路の古い地誌でも、「連理の楠」と呼ばれ、夫婦神の伊弉諾尊、伊弉冉尊の神霊が宿ると信仰されている。
根元には、二柱の神が最初に生んだ蛭子を祀った岩楠神社がある。
私が日本神話が好きなのは、神々が人間らしい不完全な存在だからである。
朝廷が編んだ公式の国史で、国の始まりに全能の神ではなく夫婦の話が置かれているのがいかにも人間臭くて面白い。
夫婦喧嘩の果てに夫が顔を洗って垂れた雫から天皇の祖先が出来たなどという話は、読みようによっては、我が国の歴史をユーモアで包む楽しい話である。
思えば、赤の他人である男女が、何の因果か生涯一緒に暮らすことになる夫婦の道というものは、幸せと苦しみと喜びと悲しみと、笑いと怒りと、全ての人間的感情を含んだ微妙な道である。