竹中大工道具館 その2

 鎌倉時代から江戸時代初期には、木の葉型鋸が使用されるようになった。

木の葉型鋸

 室町時代に入ると、大陸から大鋸(おが)が伝わった。大鋸で木材を切って製材することを挽割製材という。この工程で出る木くずを、おがくずと呼ぶようになった。

大鋸

 大鋸が伝わるまでは、木材に杭を打ち込んで割る打割製材が行われていた。打割製材では、杉や檜のような幹が真っ直ぐな木材しか利用できなかった。

 大鋸を使用した挽割製材により、松や欅といった多様な木材を使用できるようになった。

前挽大鋸

 安土桃山時代になると、前挽大鋸が登場した。大鋸は両端を1人づつ持って、2人で作業しなければならなかったが、前挽大鋸は1人で挽くことが出来た。

 大鋸の登場で、様々な木材を建築に使用できるようになった。

 室町時代には、書院造という建築様式が登場した。

桂離宮新御殿の書院

 書院には、違い棚、天袋、長押、床框、天井板、鴨居などに、それぞれ異なる木材を用いて、贅を凝らした空間を現出したものがあるが、これなども大鋸が登場して様々な木材を利用できるようになって初めて可能になったことである。

 また、台鉋が大陸から伝来して、ヤリガンナよりも滑らかに木材の表面を仕上げることが出来るようになった。

台鉋

 江戸時代に入ると、大規模な城郭や、彫刻を多用した寺社、曲がった木を使った茶室、数寄屋建築など、多様な木造建築物が造られるようになった。

 それに伴い、大工も宮大工、数寄屋大工、家大工、彫物大工、指物師などに分化していった。

 大工道具も、穴を掘る、溝を作る、曲面を削るといった作業に特化して、多様に分化していった。

叩き鑿 底抉り鉋

鴨居挽鋸

突き鑿

 現代に続く大工道具の種類は、江戸時代に大体揃ったようだ。

 天保十二年(1841年)から慶応元年(1865年)にかけて京都伏見の桃山天満宮を建てた大工・坂田岩次郎が、建物完成と同時に神社に奉納した大工道具59点が展示されていた。

坂田岩次郎が桃山天満宮に奉納した大工道具

 1人の大工が使っていた道具が一式揃ったものとして貴重であるという。

 明治時代に入ると、西洋からネジの使用が伝来した。

 大工道具にも、ネジの原理を利用した錐が登場した。

ハンドル錐 ボールト錐

 その他にも、縦挽用の刃と横挽用の刃の両方を備えた両刃鋸や、裏金を付けて木材をさらに削りやすくした二枚鉋なども登場した。

二枚鉋 両刃鋸

 日本には世界最古の木造建築物と世界最大の木造建築物の両方が揃っている。

 書院造や数寄屋建築などは、日本独自のものである。多様な木造建築物が揃った日本は、木造建築に関しては世界一の国であろう。

 私も今まで史跡巡りをしてきて、様々な木造建築物を見てきたが、それらを作り出す道具をここで目にして、日本の木造建築文化の原点を見た気がした。

 ヨーロッパの壮大な石造建築物にも憧れるが、自分の足下の我が国に、見事な木造建築文化があることを、改めて有難いことだと思った。