大工仕事は、建物の設計図通りに木材を加工して、組み立てていかなければならない。少しでも歪みがあると、建物はしっかり建たないだろう。
また、どれだけの用材が必要かを計算したうえで建設を開始するようだ。
昭和時代に薬師寺復興工事に従事した大工棟梁西岡常一が書いた技術ノートの複製が展示してあった。
薬師寺の伽藍復興に当たり、どんな材木がどれだけ必要か事細かに記録している。工事費の見積もりも棟梁の仕事であるらしい。
西岡常一が書いた法輪寺三重宝塔の初重、二重の伏図の複製も展示してあった。
先ずこのような設計図を書いて、木材を加工していったのだろう。
木材を加工するには、どこに切れ目を入れるか、印をつけなければならない。その為の道具が墨壺である。
墨壺は、中に墨を含んだ綿を入れた道具で、その綿を通すことで墨が付着した糸を材木の上に張り、材木に直線を引くことが出来る。
その他にも、曲尺(さしがね)や定規を使って線を入れることもある。
こうして引かれた線を頼りに木材を加工していくのだろう。
加工のための道具は種々ある。
例えば鋸だけを取っても、木材を粗く挽いたり、縦横に挽いたり、細かく挽いたりするのに、それぞれの用途に特化した鋸がある。
鑿にも、叩いて刻む鑿と、突いて削る鑿は異なるようだ。
神社仏閣の蟇股の彫刻などは、これらの鑿を駆使して刻まれる。
鑿を叩く道具は玄能というそうだ。釘を叩く槌と鑿を叩く玄能が異なることを初めて知った。
しかし私のような素人では、形を見ても玄能と槌のどこが違うのか分からない。
古い木造建築で使われた釘は、和釘と言って、長い四角錘のような形の釘だ。
鉋にも、台鉋の他に、際を削る際鉋というものがあるらしい。
こうして加工された木材の様々な組み方が展示してあった。
展示スペースのほぼ中央に、太古から進化を続けて現代に至った常用木工工具179点が展示してあった。
人間が使う道具にもそれぞれ歴史がある。道具の変遷の歴史というものも、面白いだろう。
私の住む家は、一般的な木造2階建てで、大した家ではないが、棟上げ式の後は唯一人の大工さんが毎日来て、こつこつ木材を組み上げていた。寡黙な職人気質の大工さんに見えた。
この家は、その大工さんの作品だと言ってもいいだろう。
神社仏閣のような長い間残る建物だけでなく、ある家族が生活する普通の民家でも、それを建てる大工の腕が試されていると言っていい。
この家に住んでいると、その大工さんの己の仕事に対する誇りとプライドが家に満ちている気がする。
木造建築というものは、人の肌の温もりがあるように感じる。