隆平城跡から下山し、鳥取県八頭郡八頭町船岡にある若桜鉄道因幡船岡駅に向かった。
若桜鉄道は、昭和5年に旧国鉄若桜線として、郡家・隼間にて開業し、同年中に若桜駅まで延伸して全線開通した。昭和62年から、第三セクター方式で運営されている。
若桜鉄道は、駅舎、機関車転車台、橋梁などの諸施設が、今でも開業当時のままで活用保存されている。
そのため、平成20年に因幡船岡駅を含む23施設が国登録有形文化財となった。
若桜鉄道を走る車両はさすがに現代の車両だが、沿線の設備は、昭和5年開業時のままである。
因幡船岡駅内に入ると、趣のある木造の舎内風景である。
こういう建物を見ると、つくづく日本は木造建築の国だと感じる。
若桜鉄道は、JR因美線に接続している。時刻表を見るが、概ね1時間に1本しか列車が来ない。
今の日本は、コロナ禍とリモートワークの進展、人口減少により、鉄道利用者が減りつつあるが、特に地方鉄道の利用客が減っている。
末梢神経から死んでいくように、これから徐々に日本の地方のインフラが消滅していくだろうが、このような歴史ある鉄道遺産には何とか残ってもらいたいものだ。
無人の駅をホームに出る。
地方駅のホームからは、どうしてこうも詩情を感じるのだろう。
ホーム上に巨大な体重計のようなものが置かれていた。因幡船岡駅の牛秤である。
因幡船岡は、因幡牛の産地で、明治38年に船岡家畜市場が出来、全国から商人が集まるようになった。船岡は山陰一の牛競り市場になった。
因幡船岡駅から、多くの因幡牛が貨物車に載せられて出荷されたが、この秤は、出荷する牛馬を貨物車に載せる際に使用されたものである。
因幡船岡駅を出て、船岡の町の鎮守、下船岡神社に行った。
下船岡神社の祭神は、猿田彦命である。創立年代は不詳であるが、古くから岡大明神と呼ばれていた。
昔、現在の社殿の西北の方向の大字船岡字岡馬場崎の地に、笄(こうがい)の宮が祀られていた。これが下船岡神社の前身である。
天正年間(1573~1593年)に、笄の宮はこの地に遷座した。
鳥取藩池田家の家老丹波山城守が船岡の領主だった寛永四年(1627年)に、祭神の御霊代(みたましろ)として、弓二張、鏡一面が寄付され、神輿渡御の神事が行われた。神事は一時中断されていたが、戦後神幸祭として復活した。
明治元年に、境内に祀られていた保食(うけもち)神と天満宮を合祀し、下船岡神社と改称した。
拝殿の脇には、二股に分かれた御神木がある。
また境内には、因幡ではあまり見かけない農村歌舞伎舞台があった。
下船岡神社では、3年に1度、5月3日に神幸(みゆき)祭が行われる。
榊を先頭に、神輿、御幟(おのぼり)、奴の舞、獅子舞などが年齢別に構成され、町内を練り歩く。神輿は1トン程の重量があり、持ち上げるだけでも最低30人は必要とされるという。
祭りというものは晴れやかなものである。
私も、仕事を卒業して余暇が出来たら、播州各地の祭りを見て回りながら1年を過ごそうかと思い始めている。
そういうものが、本当の風流ではないかと思うのだ。