艸玄書屋について。

 史跡巡りのブログを始めて、まだ一度も史跡に出かけていない。私も勤め人で、給料をもらう身である。余暇がなければ史跡巡りは出来ない。

 余暇がくるまで、しばらくは、出発前の準備の話が続く。

 このブログのタイトルは、「SOGENSYOOKUのブログ」という無粋な名前である。

 SOGENSYOOKUは、艸玄書屋のローマ字読みである。

 本来ならば、「艸玄書屋日暦」とかいう、それらしいタイトルにしたかったが、何しろブログに不慣れなもので、自動的に今のタイトルに決まってしまった。変更の仕方も分からない。それでも、このぶっきらぼうなタイトルでいいか、と思い始めた。

 今日は、艸玄書屋の話を書く。艸玄書屋は、私の書斎の名前である。そこの主という意味で、私のニックネームを艸玄書屋主人とした。

 私が尊敬する森鷗外が、自身を「観潮楼主人」と称したのと同じ気分である。

 書屋は、文人墨客が自分の居宅や書斎を指すときに使う。私は文人墨客でも何でもないが、そういうものに対する憧れは持っている。

 「艸」は、草の異体字である。世界最大の漢和辞典、「大漢和辞典」によれば、「玄」は、黒色という意味もあるが、「深い」「静か」という意味もある。

 艸と玄を合わせれば、「草深い静かな場所」とでもいう意味か。

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わが書斎、「艸玄書屋」

 草深い、めったに人が訪れない場所に、粗末な小屋があって、そこには古い書物が沢山ある。偏屈な主人がそこで古い書物ばかり読んで過ごしている・・・。これが私が理想とする生活だが、現実はそうはいかない。

 現実に私が住む場所は、庭に雑草は生えているが、人里離れた草深い場所ではない。私自身も社会や組織の中に身を置き、あくせく働いている。

 そんな生活の中でも、少しでも理想に近づこうと、書斎を拵えた。

 中央の机は、1920年代の英国の古机である。椅子は、浜本工芸の本革の椅子である。英国アンティーク(と言えるほど古くはないが)と現代の日本の椅子だが、意外と調和する。ここに座れば、外で何があっても、自分が王者であるような気分になる。

 この書斎には、1000冊を超える書物が置いてある。その中で、3つの核となるものがある。

 1つ目は、日本の古典文学である。新潮社が出版する「新潮日本古典集成」である。このアンソロジーは、注釈が豊富で、本文の脇に簡単な現代語訳がついていて、初心者でも古典を原文で読むことができる。古典を読むと、自然や季節と結びついた日本人の古代からのみずみずしい精神が、心の中によみがえる。

 2つ目は、三島由紀夫である。高校時代に、図書館で旧版「三島由紀夫全集」を借りて全巻読破したが、今でも三島を読むと、青春時代を思い出す。

 三島については、いずれ項を改めて書きたいが、今となっては大した文学者ではなかったと思っている。しかし三島作品は、読み物としては、今読んでも面白い。エンターテイメントとしての作りはいいと思う。

 3つ目は、森鷗外である。35歳から岩波書店版「鷗外全集」を読み始めて、全巻通読したが、鷗外の文章は、日本史上最高のものであると思う。私はそれほど多くの文章を読んできたわけではないが、私が今まで目にした限りでは、鷗外を越える文章は日本にはない。

 鷗外は、遺作と言ってよい「北條霞亭」の冒頭で、文人として若いころに草深い嵯峨で生活した江戸時代の学者北條霞亭について、こう書いている。

 霞亭は学成りて未だ仕えざる三十二歳の時、弟碧山一人を挈して(けっして、連れてという意味)嵯峨に棲み、その状隠逸伝中の人(世を逃れ隠れ住む賢人)に似ていた。わたくしはかつて少うして(わこうして、若くしての意味)大学を出でた比(ころ)、此の如き夢の胸裡に往来したことがある。

 鷗外も、若いころ、草深い山里に隠れ住んで、読書と詩作にふける風雅な生活を夢見たが、実現はしなかった。運命は鷗外を軍医として、日清日露戦役の戦場に立たせ、陸軍組織内の抗争に投ぜしめた。

 鷗外ほどの文豪で社会的地位を得た人であっても、「俺の人生はこんなもんじゃない」と感じていた。贅沢な人かも知れないが、そこが人間臭くて面白い。

 艸玄書屋に居れば、私は本来の自分を取り戻すことができる気がする。この「私の城」に拠りながら、史跡巡りをしていきたい。