夜久野町額田の史跡

 高倉神社から東進して、京都府福知山市夜久野町額田(ぬかだ)の町に入る。

 ここは、JR下夜久野駅があり、夜久野町の中心となる地域である。かつては宿場町として栄えたという。

 額田には、日本中央標準時の基準となる子午線(東経135度)が通っている。大正14年には、JR下夜久野駅から西に約250メートルの額田踏切付近に子午線標柱が建てられた。

子午線標柱の記念プレート

 その後子午線標柱は何度も建て替えられ4代を数えたが、平成2年の国道9号線拡幅工事で旧夜久野町役場庁舎前に移転され、平成27年には旧夜久野町役場跡地活用事業に伴い撤去された。

 今は下夜久野駅前バス停の北側駐車場に、子午線標柱の記念プレートが残されているのみである。

 それにしても、古くから町民に親しまれてきた子午線標柱を、なぜ撤去したのだろう。私は部外者だが、残しておいてもらいたかった。

 さて、額田の町の氏神は、下夜久野駅の北西約300メートルにある一宮神社である。祭神は彦火火出見(ひこほほでみ)命である。

一宮神社

 社頭に国旗が飾られている。晴れ晴れしい気持ちになる。

 一宮神社では、毎年「額田のダシ行事」という祭礼が行われる。額田5ヶ町が、それぞれ上ダシ(山車)と下ダシ(つくりもん)を作り、祭礼の日に巡行する。

 山車は、飾られた人形が回転する上段と、囃子方が乗り込む下段でできている。

 つくりものは、農作物や木の実などの秋の幸を用いて、昔話や伝説、その年話題の物語を表現する作り物である。

拝殿

拝殿蟇股の彫刻

 上ダシ、下ダシだけでなく、ご神木の巡行もある。氏子が長さ二間のヒノキの柱を把持して町内を縦横無尽に巡行する。

 夜遅くまで巡行は行われるそうだ。京都府内に類を見ないこの祭礼は、京都府登録無形民俗文化財である。

本殿

本殿の彫刻

 拝殿前には、門松が供えられていた。この神社も、新年を迎える準備をしている。

 次に額田の町から北上し、夜久野町今西中にある臨済宗の寺院、慧日山大智寺を訪れた。

大智寺

鐘楼門

 この寺院には、平安時代後期に制作された木造阿弥陀如来坐像と、10世紀に制作された木造天部立像、10~11世紀に制作されたと見られる破損した12躯の仏像が安置されている。

本堂

観音堂

観音堂内の観音菩薩

 境内の奥の石段の上に、それらの仏像群を祀る阿弥陀堂がある。

阿弥陀堂

木造阿弥陀如来坐像

破損仏像群

 木造阿弥陀如来坐像は、肩が丸みを帯びた、如何にも平安朝という仏像である。

 12躯の破損仏像のうち、1体は如来坐像、2体は地蔵立像、4体は菩薩立像、4体は天部立像。1体は像種不明である。

 かつて兵庫県丹波市の達身寺で、似たような破損仏像群を目にしたが、それらは長年山中に放置された仏像であった。

 大智寺の破損仏像群も、何らかの理由で長期間外部に放置されていたのだろう。

天部立像

 10世紀に制作されたと見られる天部立像は、風化していて尊像名は不明であるが、彩色の跡があり、頭頂から磐座まで全て一木のヒノキで作られている。

 下方を睨みつける表情に迫真性があり、木造天部立像の逸品である。

 これらの仏像群は、福知山市指定文化財となっている。

 日本国内には、数多くの仏像が祀られている。人々の信仰心が、これらの仏像を求め、請来した。

 今に残る仏像たちは、過去から現在まで生きた無数の人々の願いや祈りを受け止め続けた存在であり、歴史が凝結したものと言えるだろう。