細野峠 

 京丹波町水原の集落から国道9号線を西進すると、京都府福知山市に入る。

京都府福知山市に入る

 福知山市京丹波町の境界を越えると、すぐ左手に国道9号線から山に入っていく古い道がある。

 平成8年に「歴史100選の道」に選ばれた京街道野峠である。

京街道野峠

 国道9号線が開通するまで、京から天田郡に入る時に通過する峠道だった。

 なるほど雰囲気のいい道である。車から降りて、歴史の中の人物になった気になって、気分良く歩き出した。

 上の写真の道を真っすぐ歩き、山中に入っていったが、何と途中で道が途切れてしまった。途方に暮れながら約40分間細野峠への道を求めて山中を彷徨った。

 諦めて元来た道へ引き返すと、国道9号線から入って約50メートルの辺りに、後方に180度反転して分岐する道があるのに気付いた。

野峠への分岐道

 これはさすがに案内板でもないと分からない。歴史の道100選を謳うのなら、この分岐点に案内板をつけてほしい。

 さて、分岐道に入ると、石畳の道が続く。

石畳の道

 江戸時代から明治時代にかけて造られた石畳の道だろう。雰囲気のいい道が続く。

野峠への道

 つい江戸時代に徒歩で旅をした人の気持ちになる。

 しばらく行くと、大身騒動晒場跡という石碑がある。

大身騒動晒場跡

 大身騒動とは、万延元年(1860年)11月13日から16日にかけて、この周辺で発生した百姓一揆のことである。

 大身村の百姓を中心とした一揆勢は、細野峠に集結し、物価高騰に伴う諸品の値下げを要求し、庄屋、酒屋などを打ち壊した。

 一揆船井郡中・南部に拡大した。

 一揆終結後、首謀者の茂助は処刑された。茂助の首はこの場所に三日間晒されたという。

 ここから更に歩くと、道が上り坂から下り坂になる辺りで、杉林が竹林になった。

峠付近

 峠である。坂道を下ると、兎原の集落に至ることになる。

 峠から少し下がったところに、狭い削平地があり、一部石垣が残っている。

円通庵跡

 ここは、弘化四年(1844年)に、兎原の集落にある龍源寺の住職が、百体観音を祀る百観音堂円通庵を建てた場所の跡地である。

 この細野峠のある山は観音山と呼ばれ、古くから観音屋敷が置かれて観音菩薩霊場として崇められてきたらしい。

 円通庵は後に無住となったため、百体観音と共に麓の龍源寺に移された。

 円通庵跡の横には、観音清水という湧き水がある。

観音清水

 昔から、この峠を行き交う旅人の喉を潤してきた湧き水だ。

円通庵跡付近

円通庵跡の石垣

 円通庵跡の前は、石畳の道が続いている。竹林の中、静けさに満ちている。

 今や日本の隅々まで舗装道路が張り巡らされ、旅に不自由はなくなった。国道では、夜間も大型トラックが轟音を轟かせて通過する。

 だがそこから一歩入ると、このような古い道が残っている。街にも歴史があるように、道にも歴史がある。

 日本の古い道を訪ね歩くのも、いいものである。