「倒壊する巨塔」

 西暦2001年9月11日に発生したいわゆるアメリカ同時多発テロ事件から20年が経過した。

 印象的な事件を回顧するときには、「あの時自分は何をしていたか」という記憶も同時に浮かび上がってくるものだが、私の場合も同事件を知った時に自分がどこで何をしていたか、よく覚えている。

 事件発生時は日本は真夜中であった。たまたま家でテレビをつけると、ニューヨークの高層ビルが1棟黒煙を上げていた。1機目の飛行機がWTCビルに衝突したことを告げていた。

 その時は大きな事故が起きたという程度の認識だったが、そのまま実況中継を見ていると、更に2機目の飛行機がもう1棟のWTCビルに突っ込んだ。事態が容易ならざるものであることがようやく分って来た。

 そのままテレビにくぎ付けになっていると、あっというまに2棟のビルが崩れてしまった。

 テレビで飛行機がビルに突っ込んだ瞬間と、ビルが倒壊する状況が繰り返し流されるのを見るうちに、この世界がこれからどうなって行くのか、深く考えるようになった。あれから世界は変わってしまった。

 その時は事件が誰の仕業かはっきり知らなかったが、どうやらアルカイダというイスラム過激派とその首領オサマ・ビンラディンが容疑者であることが分って来た。

 なぜ彼らイスラム過激派はアメリカを憎むのか。アメリカのみならず近代社会全体を憎んでいるのか。彼らが望んでいる社会は何か。そこに興味を覚え、20年間新聞や書籍やネットなどでイスラム過激派のニュースを追いかけてきた。

 先日米軍撤退後のアフガニスタンタリバンが再び実権を握った。報道内容や世界の識者の発言を見ていると、20年に及んだ対テロ戦争は、どうやら失敗に終わったという烙印を押されそうだ。

 対テロ戦争が失敗だったとしたら、この世界はこれからどうなっていくのか。時計の針は20年前に戻ってしまった。

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ローレンス・ライト著「倒壊する巨塔」上下巻

 同時多発テロ事件やアルカイダに関する書籍は多数ある。その中でも白眉といえる出来栄えなのは、ローレンス・ライトというアメリカの作家・映画脚本家が執筆した「倒壊する巨塔」である。

 ライトは、FBIやCIA関係者、アルカイダ周辺者などから丹念に取材し、現代のイスラム過激派の思想が誕生してから、同時多発テロ事件に至るまでの経過を、壮大な映画のシナリオのように書き上げた。

 優れたノンフィクション作品として、本作はアメリカでピューリッツァー賞を受賞した。

 この著作で何が優れているかというと、ビンラディンザワヒリといったアルカイダ首脳部の人間が、我々と同じ等身大の人間として描かれていることである。

 彼らを追いかけるFBI捜査官のジョン・オニールも、凄腕だが人間臭い捜査員として描かれている。敵である過激派も、決して怪物ではなく、大事な家族を持った、我々と同じ感情ある人間として描かれている。

 読んでいくうちに、同じような人間らしい感情を持つ者同士が、何でこんな凄惨なテロや空爆の応酬をしてお互い殺しあうのか、不思議になってくる。

 結局その原因が、お互いの信仰や文化や政治信条の違いに他ならないことが浮かび上がってくる。

 そしてその違いは、これからも決して埋まることがない。残念ながらこれが現実である。ということは、戦いは半永久的に続くことになる。

 「倒壊する巨塔」の最初に、現代のイスラム過激派の思想の原点となった書物「道しるべ」を書いて、1966年にエジプト政府に処刑された、エジプト人学者サイイド・クトゥブのことが出てくる。

 この「道しるべ」はエジプトで発禁処分になったが、地下で流通し、イスラム圏の中で世の不条理に悩む若者たちを奮起させ、数々の過激派組織の誕生を促した。

 イスラム教では、神の預言の書「コーラン」やムハンマドの言行録「ハディース」に、神が示した人間の生き方が書かれているとされている。

 そこには、何が罪になるのかや、刑罰の方法、遺産相続のこと、商売の契約の方法まで書いてある。つまり、刑法や民法や商法が宗教の経典に書かれていて、それが「神の教え」とされている。イスラム法と呼ばれているのがこれだ。

 イスラム圏以外の人類の常識では、法律は人間が作るのものだが、イスラム教では法律は神が作ったことになっている。

 法律を執行するには、警察や裁判所などがいる。近代国家は、まず国を作って、その中で人々がどう生きるか決めるため、人間が法律を作ってそれを政府が施行する。

 イスラム教では、神の教えであるイスラム法を実現するために、必然的に国家的な機構が必要になる。国より先に法があり、宗教的な要請から国が出来るのだ。

 この神が作った法律であるイスラム法を忠実に実行すべきだというのがサラフィー主義という思想である。

 サラフィー主義者の間でも、硬軟の幅があるが、極端に厳格になると、イスラム法に書かれていないことを人間が勝手に法律にするのは神の教えに反する背教行為と断じられる。立法権は人間にはなく、神にしかないというわけだ。

 人間は神の作ったルールに従うべき(イスラームとは神に服従するという意味である)で、人間が人間を支配するためのルール(法律)を勝手に作るのは神の教えに反する行為だというのである。

 サラフィー主義者からすれば、民主主義国家も共産主義国家も社会主義国家もその他の独裁政権も、人間が勝手に法律を作っている点で同列である。

 クトゥブが生きていた時代のエジプトは、ナセル大統領による独裁政権の時代だが、ナセル大統領はイスラム教徒でありながら、イスラム法に基づかない西洋に範を取った法律を国内で施行していた。

 クトゥブが登場するまで、サラフィー主義者は武力で自国の独裁者や政権を倒すまでは考えていなかった。

 しかしクトゥブは「道しるべ」で、イスラム教徒でありながらイスラム法を施行しない政府は、背教者の政権であり、武力で打倒して関係者を殺害してもよいという思想を書いた。クトゥブはエジプト政府に危険視され、投獄されて死刑になった。

 こうして武力によりイスラム法に基づかない政権を倒し、イスラム法による支配を強制的に実現するという、サラフィー・ジハード主義が誕生した。クトゥブが死んでも、この思想は死ななかった。

 イスラム教では、ムハンマドが神から啓示を受ける前の世界を、唯一神以外の偶像を崇拝する無明社会(ジャーヒリーヤ)と呼んでいるが、クトゥブは、欧米の民主主義やマルクス・レーニン主義、ナチズム、毛沢東思想などを、神が作った法律以外の法律を崇め、神以外の独裁者を崇める「現代の偶像崇拝」と断じた。

 そんな偶像崇拝が広まる現代社会は、イスラム教誕生以前の無明社会と同じで、ムハンマドが武力で無知な偶像崇拝者たちを打倒してイスラム帝国を築いたように、武力で背教者政権を打倒して地上に「神の支配」を確立させるべきだと叫んだ。

 タリバンアルカイダもISも、その方法論に違いはあるが、皆このサラフィー・ジハード主義を奉じている集団である。

 アメリカがアフガニスタンに「民主主義」を与えれば、平和に統治できるようになると考えたのはとんでもない誤解であった。サラフィー・ジハード主義者であるタリバンからすれば、民主主義こそが神に反する不信仰者の制度であり、打倒すべき対象となる。

 ビンラディンは、アメリカで大規模なテロを起こせば、必ず米軍がイスラムの地にやってくると踏んでいた。

 米軍がイスラムの地に来れば、それに怒ったイスラム教徒がサラフィー・ジハード主義者となり、続々とアルカイダの下に馳せ参じると予想した。

 そして泥沼の戦いでアメリカを疲れさせ、米軍がイスラムの地から撤退した暁には、欧米という後ろ盾を失った現地の背教者政権を武力で打倒して真のイスラム国家を樹立し、イスラム圏に神の法による支配を実現できると計画した。

 ビンラディンの計画は、アルカイダが弱体化したという点で半分外れたが、アフガニスタン1国だけでもサラフィー・ジハード主義者による政権が出来たという点で半分は当たった。

 イスラム教の聖典ハディース」には、終末が近づくと、ホラサン(今のアフガニスタン)で戦争が起こると書いているという。サラフィー・ジハード主義者たちは、これを「終末戦争」と呼んでいる。

 神による支配を望む勢力と、人間が人間を統治する勢力の戦いがこれからも続くなら、サラフィー・ジハード主義者の信仰自体が滅びない限り、戦いは永久に続くだろう。まさに終末戦争だ。

 私は、10年前、雑誌「ニューズウィーク」誌上でアフガニスタンタリバンが復活しつつあるという記事を読んだ。オバマ大統領が、アフガンへの米軍増派を実行してそれなりに成功していた時期の記事だ。

 その中で、タリバンの戦闘員がインタビューに答えた内容が印象に残っていて、今でも覚えている。

 確か「俺たちは1000年でも戦う用意が出来ている。アメリカにその覚悟はあるかな」という内容だったと思う。私はそれを読んで、「いつかアメリカは負けるな」と感じた。

 当時はタリバンが仕掛けた一個数万円の簡易路肩爆弾が、数十億円するアメリカの装甲車を連日吹き飛ばしていた。

 彼らが信仰を捨てるか、こちらが神による支配を受け入れるまで戦いは続くのか。  

 9.11の30周年になっても、40周年になっても、世界は同じ心配をしていることだろう。

 今世界は固唾をのんでタリバン政権の行方を見守っている。我々日本人もかれらの動きを注視するしかないだろう。