延養亭と栄唱の間の南側には、花葉の池がある。園内の曲水がこの池に流れ込んでいる。
私が花葉の池を眺めていると、柔らかな風が吹いて、池面にさざ波が立った。日本の庭は、こんなささやかな変化を楽しむためにあるのではないか。毎日庭に出ても、少しづつ季節が動き、庭が変化しているのが分かるだろう。
花葉の池には、園内の曲水の水が滝になって流れ込んでいる。花葉の滝という。滝が流れ込むことから分かるように、この池は、曲水が流れる園内の他の場所より低い場所にある。
また池の西側には、築庭時に巨岩を九十数個に割って運び、園内で組み立てた大立岩がある。
なるほど、岩の中に楔を打ち込んで割った後、再度組み立てたのが分かる。
花葉の池の南西は、二色が丘という林になっているが、その中に茂松庵という茶室が建っている。
築庭当時、付近には桜や楓、松などが生い茂り、この建物は花葉軒と呼ばれていたそうだ。
藩主はここで花や紅葉を眺めながらくつろいだ。明治時代に茂松庵という名に変わったが、戦災で焼失した。
茂松庵は、戦後最初に復興された建物であるそうだ。よく見ると、建物の周囲には見事な石が埋め込まれている。
花葉の池には、じぐざぐの形をした栄唱橋が架けられている。橋のたもとから眺める延養亭と栄唱の間もいいものだ。
花葉の池から東に歩くと、廉池軒がある。廉池軒は、園内で戦災を免れた建物の一つである。
廉池軒の前には池があり、石橋が架かっている。
池の中には錦鯉が泳いでいる。また池の中に、石に囲まれて一段深くしてある箇所がある。その中に石を立てて置いている。これも池の眺めに変化をつけるためのしつらいだろう。
廉池軒は、一般に公開されていて、700円の抹茶セット付で、茶室漣波の間から園内を眺めることができる。
廉池軒を後にして、園内を横断する。右手には大きな築山の唯心山が見える。
また正面には、沢の池と背後の松林が見える。
ところで後楽園は、岡山市街の中心に位置していて、周囲にはビルが立ち並んでいる。
この後楽園の周囲は、木々で囲まれていて、後楽園を取り巻く近代建築が見えないように配慮されている。
しかし最近、高さ100メートルの高層マンションが、園内から見える位置に建設され、景観を損ねると議論を巻き起こしている。
確かにこの園内にいる間は、園外の世界を忘れることができる。庭園は、それだけで完結した一つの世界を提示しているように思える。散策すると、不思議と満ち足りた気持ちになる。
松林と沢の池の間に、寒翠細響軒という名の小さな建物が建っている。
文化十二年(1815年)にこの建物を訪れた藩校教授万波醒盧が、背後の松林の緑と前面に広がる沢の池の清らかな水の趣きに因んで名付けたそうだ。
上の写真の右側に岡山城天守が写っているが、この建物からは城と庭園が一体となった雄大な景色を楽しむことができる。
この寒翠細響軒の奥に、後楽園内を巡る曲水の水源がある。水源の前には、水車が設置されている。
寒翠細響軒にいれば、この水車の響きも聞こえてくることだろう。
元々後楽園で使用される水は、ここから約4キロメートル上流から引いてきた後楽園用水を利用していたが、今は旭川の伏流水を汲み上げて使用しているそうだ。ここから出た水が、園内の曲水となり滝となり池となる。思えば水の変化は豊かなものだ。
水源の先には、馬場がある。岡山藩士が騎乗の訓練をする場所だ。
馬場は直線で180メートルあり、ここで家臣だけでなく藩主も乗馬して腕を磨いたという。
馬場に面して、藩主が家臣の乗馬の上達ぶりを見るための建物、観騎亭がある。
上の写真では、馬場に面した側の窓が雨戸で閉ざされているが、ここを開けて家臣の騎乗の様を見学したのだろう。
後楽園は、太平の世を楽しむための庭園だが、武備も忘れることはないという武家の文化を現わしている。
こういった武道の設備があることが、後楽園をより引き立てる薬味のような役割を果たしている気がする。