兵庫県多可郡多可町中区東山にある兵庫県立多可高等学校の西側に、お饅頭のような円墳が15基復元されている。古代多可の豪族が眠っていた東山古墳群である。
東山古墳群は、平成8~11年に発掘調査された。その結果、6世紀末~7世紀前半に築かれた古墳群であることが分かった。
古墳群の中で最大の古墳は、1号墳である。
1号墳は、直径約30メートル、高さ約7メートルで、周囲にはテラス、周濠が巡らされている。石室は左片袖式で、全長約12.5メートル、兵庫県下でも最大規模の石室空間を有する。
石室の床面には川原石が敷き詰められ、土器類や鉄鏃、大刀などの武具類が出土した。
1号墳は、6世紀末に築かれ、その後何度も木棺による追葬が行われた。7世紀の終わりころまで約100年に渡り祭祀が行われていたようだ。
この1号墳の築造が、東山古墳群の築造の契機となった。
今ある東山古墳群の古墳は、石室が崩れてしまっているものが多い。10号墳などは、石室がきれいに残っている。発掘調査時に整備されたのかも知れない。
古墳の石室を見ていつも圧倒されるのは、天井石の巨大さである。古墳の石室は、古代の偉大な記念碑だと思う。
東山古墳群の中で、1号墳の次に規模が大きいのは、15号墳である。
15号墳が築造されたのは、7世紀半ばで、最末期の古墳である。石室からは、盗掘の跡が甚だしいとは言え、土器類や武具類、耳輪、木棺の釘などが多数出土している。発掘調査の結果、羨道と玄室の境部に木棺を置いて、その脇に土師器の甕を据えていたことが分かった。
石室の中には、出土状況から類推される埋葬状況が復元されている。川原石による敷き石も、きれいに復元されている。
さて、東山古墳群の隣には、多可町中区の遺跡から発掘された遺物を収める、那珂ふれあい館がある。
那珂ふれあい館には、東山古墳群から発掘された遺物も多く展示してあるが、中でも目を引くのが、12号墳の石室から発掘された陶棺である。
それにしても、こんな巨大な陶器を作るのは、どんなに大変なことだったろう。
1号墳から出土された装身具なども展示してある。
また、古代の中区には、郡役所などがあったが、それらの遺跡である思い出遺跡からは、須恵器などが発掘されている。
那珂ふれあい館の西側の山中に、7世紀前半築造の村東山古墳があるが、そこから出土した組合せ式家形石棺が、那珂ふれあい館の前に展示してある。
石材は、石質が柔らかく加工しやすい凝灰岩が使われている。長さ208センチメートル、幅91センチメートル、高さ90センチメートルの石棺である。近くで見ると、なかなかボリュームがある。この石棺は、兵庫県指定文化財となっている。
今日見た古墳や遺物は、全て人間の死に関わるものばかりである。豪族ではない庶民は、もっとささやかに埋葬されたのだろうが、財力のある豪族は、死後の自己を飾り立てた。人は、自分が生きた痕跡を残したがる生き物である。