「大漢和辞典」

 4月12日の「鷗外全集」の記事で、「大漢和辞典」についても触れた。

 私が岩波書店版第三次「鷗外全集」第二刷を、北九州市八幡北区の古書店今井書店にネット注文して購入したのが、平成20年11月のことである。

 さて「鷗外全集」を読み始めたが、あまりにも馴染みのない漢字や熟語や故事成語が頻出するので、辞書を引きながらでないと読み進められなかった。

 私は、高校に入学する時に、高校の授業用に町の小さな書店で漢和辞典を買った。私は高校入学時には、文学に全く関心がなかったのだが、なぜだか漢和辞典は、この小さな書店で売っている商品の中で、最も収録漢字数の多いものを選んで買った。それが学研の「漢字源」であった。

 この「漢字源」は、収録している親字は9900字ほどである。一般の漢和辞典の中では収録数が多い方である。

 最初は「漢字源」を引きながら「鷗外全集」を読んでいた。しかし、「鷗外全集」には、この「漢字源」にも出てこない漢字や熟語が数多く出てくる。鷗外先生の頭脳はどうなっているのか。どうしてもこれらの言葉の意味を知りたいと思った。

 ネット検索をしていると、yahooの知恵袋に、「鷗外全集」を読むなら「大漢和辞典」があった方がいい、という書き込みがあるのを目にした。これが、私が「大漢和辞典」の存在を知った最初である。

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大漢和辞典」縮刷版

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 「大漢和辞典」は、新潟県出身の漢学者・諸橋轍次(1883~1982年)が編纂したものである。

 諸橋は、若いころ中国に留学して漢籍を読んだ。その際、読書時間の3分の1を辞書を引いたり、原典の勘考をすることに費やしていることに気づいた。原典の勘考とは、この熟語がどの漢籍に載っているのか、その出典を調べることである。

 中国には、清朝の皇帝康熙帝が編纂を命じた「康煕字典」という、47035字の親字を収録した最大の漢字辞典があった。しかし「康煕字典」には、熟語が載っていない。

 同じく康熙帝が編纂を命じた最大の熟語辞典「佩文韻府(はいぶんいんぷ)」は、約40万語の語彙(熟語)を収録して、その語彙の出典を明らかにしている。だが語彙の解釈が書いていない。

 諸橋は、「康煕字典」と「佩文韻府」を座右に置いて漢籍を読んでいたが、親字と熟語の両方が載っていて、それぞれの解釈を書いた辞典があれば便利だと思いついた。思いついただけでなく、それを自分で作ろうと決意したのである。

 諸橋が、大東亜戦争を挟んで編纂して、昭和30年に完成出版したのが、「大漢和辞典」である。全13巻。親字は約49000字、熟語は約50万語を収録し、語釈と出典を明らかにした。「康煕字典」と「佩文韻府」を超える数の親字と語彙を収録している。

 出版時点で世界最大の漢字の辞典であった。驚くことに、漢字の本家である中華人民共和国政府が、「大漢和辞典」を何セットも注文購入した。

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大漢和辞典」を解説した書物、『大漢和辞典』を読む

 この辞典を引けば、漢語の熟語の意味だけでなく、その熟語が中国の古典のどの書物のどの章で使われていたかを即座に知ることが出来る。清朝の時代に究明された語彙の出典は、「佩文韻府」に載っている。「大漢和辞典」には「佩文韻府」が明らかにした出典は全て収録されている。「大漢和辞典」に載っていない漢語は、和製熟語や近年の造語だと言える。

 「鷗外全集」に出てくる言葉で、「大漢和辞典」に載っていないものも極く稀にあるが、「大漢和辞典」に出てこない語は、かなり高い確率で鷗外の造語であると断言できる。そもそも「大漢和辞典」より詳しい漢語の辞典は世界にないのだから、これに載っていなければこれ以上調べようがないと諦めることができる。

 鷗外が、「佩文韻府」の編纂者すら把握していない書物から知った言葉を使っている可能性もあるが、それがどんな書物かは調べようがない。もはやそうなると私のような素人には追跡の仕様がないので、諦めるしかない。

 「大漢和辞典」は、昭和41年に改訂され、縮刷版が出た。私が大阪の古書店天牛書店から購入したのが、昭和41年初版の縮刷版「大漢和辞典」である。全13巻、当時の定価1冊4,800円である。13巻で62,400円。昭和41年の大卒初任給は約25,000円。今の物価に直したら、全13巻で約50万円か。それを私は12,000円で購入した。

 ところで、家に届いた「大漢和辞典」を開いてみたら驚いた。月報が揃っていたのである。

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大漢和辞典」月報

 月報は、全集本などに付いている付録のようなものである。全集好きにとっては、月報を読むのもまた楽しみなのである。

 そして、月報の裏に「熊野」という印影があった。  

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 この縮刷版「大漢和辞典」を最初に購入した人が押したものだと思った。そうなると、急にこの熊野さんがどういう人だったか知りたくなった。当たり前だが知る方法はない。

 ただし、今の物価に直せば全巻約50万円の辞典を個人で購入した人である。専門の学者か、趣味で漢詩をするような相当の趣味人ではなかったかと想像できる。

 ネットで検索してみると、熊野正平という、明治32年(1898年)から昭和57年(1982年)まで生きた、一橋大学教授の中国語学者がいたことが分かった。熊野正平は、生前中国語辞典を編纂し、没後の昭和59年に「熊野中国語大辞典」(三省堂)が出版された。

 これほど高価でマニアックな辞書を個人で買って架蔵した熊野さんという人は、この熊野正平しかいないと私は思った。今でも私はそう信じている。

 ここからは、私の妄想になるのだが、熊野正平は、この縮刷版「大漢和辞典」を手元に置いて引きながら、中国語大辞典の編纂を進めていたに違いない。

 熊野正平は、戦前は中国大陸に留学し、教授としては中国語文法に関する論文を多く残した人だったようだ。

 私は、熊野正平が愛用した「大漢和辞典」を、何かの縁で私が購入したと信じている。古書の来歴というのは、奇しきものだ。

 中国語の碩学が辞書編纂に用いて使い古した「大漢和辞典」を、今私が机上に置いて「鷗外全集」を読むのに使っている。

 世にこれに勝る贅沢があろうか、と思うと、知らず知らず笑みがこぼれる。