兵庫県多可郡多可町加美区岩座神(いさりがみ)には、有名な棚田がある。
岩座神は、東播磨最高峰の千ヶ峰(標高1005メートル)の中腹の標高3~400メートルに位置する集落である。
岩座神の名の由来は、過去に「いわすわりかみ山」と呼ばれた千ヶ峰から来ている。いつしか「いさりがみ」と略して呼ばれるようになった。
加美区の中心街から、谷間の道を北上すると、突然眼前に石垣が組まれた岩座神の棚田の風景が現れる。
私が訪れた日は、曇天だったが、途中から激しく雪が降り始めた。スイフトスポーツには、夏タイヤを履かせている。安全のため、岩座神に着いてから車を路上に停めて雪が止むまで待った。車の周囲を雪が包んだ。
私は雪が止むまでスイフトスポーツの車内で岩波書店「鷗外選集」第1巻の「そめちがへ」「半日」を読んだ。
雪が止んでから車外に出ると、遠い山々はうっすらと雪化粧していた。
岩座神の集落は、集落の高所まで棚田を囲む石垣が築かれている。一種の城塞のようにも見える。
この石垣が、いつごろ築かれたかは定かではないが、鎌倉時代にさかのぼるという説がある。不思議な景観である。
岩座神集落にある人家は、20戸未満である。棚田は約340枚ある。岩座神の住民だけでこの棚田を維持するのは不可能である。平成8年に棚田保存会が結成され、棚田オーナー制度が始まった。集落外の人でも棚田のオーナーになれる制度である。
そのおかげか、棚田は雑草雑木も抜かれていて、よく整備されていると感じる。
岩座神から千ヶ峰に登る登山道が通じているが、その途中、集落の最奥に真言宗御室派の寺院、萬霊山神光寺がある。
神光寺は、白雉年間(650~654年)に法道仙人によって開かれたと伝わる。江戸時代の地誌「播磨鑑」によれば、中世には、千ヶ峰の中腹に堂塔を100余り備える大寺院だったらしい。
神光寺は、天正年間(1573~1592年)の兵乱で廃頽したとされている。宝暦年間(1751~1764年)に中興の祖、明道上人が往時の末光院を復興して本堂とした。
山門の金剛力士像は、鎌倉時代の作で、多可町指定文化財である。
昭和6年までは、往古から伝わる大日如来像や不動明王像があったらしいが、その年の火災で烏有に帰した。
現本堂は、昭和15年に再建されたものである。
本尊は十一面観世音菩薩像である。
寺院の周囲の杉が、雪を被って美しい。私は幼少期を新潟県で過ごしたが、そのせいか雪の匂いをかぐと懐かしい気持ちになる。
神光寺から、千ヶ峰への登山道が伸びている。しばらく登って行くと、兵庫県天然記念物の千本杉がある。
千本杉は、高さ約14メートルで、高さ6~7メートルのあたりから多数枝分かれしている。
このような形状の杉は非常に珍しく、熊本県阿蘇郡小国町の阿弥陀杉とこの千本杉の2例しかないという。
自然の神秘な力を感じる樹木である。
樹木も我々と同じく遺伝子を持つ生物であるが、数十メートルの高さを持つ樹木は、地球上最大規模の生物である。
この巨大生物に対して畏敬する気持ちをいつも持っていたいと思う。