御坂サイフォン 御坂神社

 兵庫県三木市志染町御坂町に、サイフォンの原理を生かして、高低差のある場所に水を通す御坂サイフォンがある。

 サイフォンの原理とは、何らかの液体を、高い位置にある出発地点から低い位置にある目的地点まで管でつないで流す際、管内が液体で満たされていれば、管の途中に出発地点より高い地点があっても、ポンプでくみ上げずとも流れ続ける原理を指す。

 分かりやすい例は、石油ストーブに灯油を給油する時に使う給油ポンプである。灯油を入れたポリタンクの中の液面が、石油ストーブの燃料タンクの中の灯油の液面より高ければ、給油ポンプの中が灯油に満たされている限り、灯油は石油ストーブに流れ続ける。例え給油ポンプの高さが、ポリタンク内の液面より高くても、灯油が流れ続けるのは、皆さんご存じと思うが、これがサイフォンの原理によるものである。

 御坂サイフォンは、サイフォンの原理を用いて、神戸市北区淡河町の淡河疎水を、志染川を越えて印南野台地に流すための設備である。

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御坂サイフォンの見取図

 淡河町側の吞口水槽に溜まった水を、出口水槽側に渡すため、鉄管が使用されている。吞口水槽と出口水槽の高低差は、2.45メートルである。この高低差があるために、サイフォンの原理により、水は低い谷間を越えて、斜面を上り、出口水槽まで流れていく。

 途中、志染川を越えるために鉄管を通すための橋が造られた。これがめがね橋である。

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めがね橋

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 このめがね橋の中を、鉄管が通っている。

 御坂サイフォンは、明治24年(1891年)に、英国人技師パーマーの助言を得て作られた。最初は、英国製の軟鉄管が使われた。

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めがね橋の上

 昭和28年(1953年)に、2代目の日本製の鉄管に取り換えられた。その際、下流側の鉄筋コンクリート製のめがね橋が増設された。

 奥側のレンガ製のめがね橋側から写真を撮りたかったが、志染川の流れに遮られ、撮影できなかった。

 平成4年(1992年)には、地上部の鉄管は、3代目のダクタイル鋳鉄管に取り換えられた。地下と橋梁の鉄管は、強化プラスチックで補強された2代目鉄管が使用されている。

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建設時の出口水槽

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出口水槽に向かう鉄管

 出口水槽側を見上げれば、山肌を上って行く鉄管がある。サイフォンの原理により、水があの上り坂を上って行くのが何とも不思議だ。

 御坂サイフォンは、日本の近代化遺産の一つと言っていいだろう。

 さて、御坂サイフォンのすぐ近くにあるのが、御坂神社である。

 御坂神社の創建がいつかはよく分かっていない。祭神は、八戸桂掛須御諸神(やとかけすみもろのかみ)で、大物主神(おおものぬしのかみ)と葦原志男神(あしはらのしこおのかみ)を配祀する。三神とも出雲大社の祭神大国主神の別名とされている。

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御坂神社の鳥居

 八戸桂掛須御諸神は、記紀にも出てこない神様だが、八方の戸締りを堅固にした部屋に坐す神、という意味だそうだ。

 「播磨国風土記」に、「志染の里三坂にます神八戸掛須御諸神は、大物主、葦原志男命の国堅めたまひし以後に天より三坂峯(みさかみね)に下り給ひき」とある。第17代履中天皇がこの神社にご参拝になったことも「播磨国風土記」に記されている。

 履中天皇は、5世紀前半に在位したと考えられる天皇である。天正の三木合戦の際に、秀吉軍の攻撃を受け、御坂神社の建物や記録は全て焼失してしまったが、御坂神社の創建は、5世紀前半には遡りそうだ。

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御坂神社拝殿

 また「播磨国風土記」によれば、この辺りに行幸し滞在した履中天皇の食膳にシジミが這い上がったため、この辺りを志染(しじみ)の里と呼ぶようになったという。「播磨国風土記」には、このような地名説話が沢山載っている。

 「風土記」の大半が失われてしまったのは残念である。地名には歴史がある。それを現代人が簡単に改名してしまうのは、どうも無粋である。

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御坂神社能舞台

 御坂神社では、毎年2月11日に御弓祭が行われ、5月に御田祭が行われる。

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御坂神社本殿

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本殿の彫刻

 御坂神社の祭神と同一の大国主神は、日本各地を渡り歩いて国造りを行った神様である。

 その神様が鎮座する場所に、明治時代の近代国家建設時の設備があるのは、何か縁を感じる。