千手山弘法寺

 牛窓の町から少し北西に行った牛窓町千手にあるのが、千手山弘法寺である。

 弘法寺の創建は古い。奈良時代に報恩大師が開基した備前四十八寺の一つであるとされている。

 県道28号線を走ると、道沿いに、朱色に塗られた山門がある。

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弘法寺山門

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 山門は、岡山県指定重要文化財である。邑久大工棟梁尾形氏によって、享保八年(1723年)に再建されたものである。

 山門に向かって右手に千手山がある。麓には、弘法寺塔頭である東壽院と遍明院がある。

 城郭のような石垣と漆喰の塀に囲まれている。寺院の塔頭が、中世には寺を防御する砦のような役割を果たしていたのがよく分かる。

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東壽院と遍明院

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東壽院の石垣

 特に東壽院の石垣は、大小さまざまの不揃いな形の石を緊密に組み合わせて石垣を築いている。石垣もここまでいけば芸術である。

 東壽院には、持仏堂に木造阿弥陀如来立像が祀られている。国指定重要文化財である。檜の寄木造、漆箔、玉眼嵌入の像であり、足の裏の臍に「工匠法眼快慶建暦元年三月二十八日」と墨書してある。

 これにより、建暦元年(1211年)に仏師快慶が彫った仏像であることが分かっている。

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東壽院持仏堂

 東壽院の上には、遍明院がある。

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遍明院

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遍明院本堂

 遍明院本堂には、平安時代の作である五智如来坐像が祀られている。金剛界大日如来を中心とする五仏の像で、国指定重要文化財である。

 遍明院には、この他に、鎌倉時代の絹本着色阿弥陀二十五菩薩来迎図、絹本着色仏涅槃図、足利尊氏が奉納したと伝わる藍韋肩白腹巻、盛光銘の大薙刀という4つの国指定重要文化財がある。

 古くからの寺宝が伝わる、由緒ある寺院であると分かる。

 遍明院の庫裏の前には、向唐門が備えられている。

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庫裏と向唐門

 かつて歴代岡山藩主が年始に弘法寺に参拝した時に潜った門であるという。門自体は最近桃山様式で再建されたものである。弘法寺は、歴代藩主の崇敬厚い寺院であったようだ。

 遍明院の南側に、弘法寺に至る石段がある。

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弘法寺への石段

 弘法寺は、残念ながら昭和42年に発生した火災で、山上の本堂、宝塔、鐘楼が失われた。今は石段と礎石が残るのみである。

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弘法寺本堂、宝塔跡

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本堂礎石

 弘法寺の全ての建物が焼失したわけではなく、一部の建物は残っている。

 本堂跡の南側には、常行堂ともう一つぼろぼろになったお堂が建っている。

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常行堂

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 常行堂は、瀬戸内市指定重要文化財である。現在の建物は、天明元年(1781年)に再建されたものである。

 常行堂は、阿弥陀如来像の周りを念仏を唱えながら周回する、念仏三昧の行を行うための建物である。

 中を覗くと、堂々とした阿弥陀如来坐像が鎮座している。

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阿弥陀如来坐像

 この阿弥陀如来坐像は、製作年代は不明ながら、瀬戸内市重要文化財に指定されている。

 阿弥陀如来坐像の周りには、念仏を唱えながら周回するための通路がある。

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念仏三昧のための通路

 僧侶たちが念仏を唱えながらここを周回している様が目に浮かぶ。

 弘法寺には、踟供養(ねりくよう)という中世からの行事が伝わっている。踟供養は、毎年5月5日に行われる。阿弥陀如来と二十五菩薩の行列が来迎者を迎え、極楽往生を遂げる場面を再現する行事である。

 弘法寺の踟供養は、鎌倉時代後期ころに始まったと言われている。昭和42年の火災以後は中絶していたが、平成9年に復活した。

 特筆すべきは、この行事に関連する文化財が中世から数多く伝わっていることである。被仏や行道面、銅製の磬、太鼓形酒筒、鼓胴などの楽器は、中世に遡るものである。

 常行堂の南側には、千手山の守護神を祀る山王社がある。日吉神社と千次神社の本殿が並列している。

 両方の本殿が、瀬戸内市重要文化財となっている。

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山王社

 弘法寺を訪れた時には、誰とも会うことはなかった。参拝者は私しかいなかった。

 最も印象深かったのは、常行堂阿弥陀如来坐像と対面した時である。阿弥陀如来坐像と2人きりで対面したからか、畏れ多いことだが、何かこの仏様と秘密を分かち合ったような気分になった。