山川出版社「歴史散歩シリーズ」に記載している史跡を全部巡ろうとすると、相当マイナーな史跡を巡ることになる。
個人的に全く興味がない史跡でも、「歴史散歩」に載っているから、とりあえず行ってみる、というのも一つの冒険である。結果、予想外の好印象を抱いたりする。
今日訪問した史跡も、地味は地味だが、私にとっては好印象であった。
たつの市新宮町の中心街から、国道179号線を西に走る。この道は、鳥取市まで続いている。
交通量は少なく、適度なカーブがあって、我がスイフトスポーツも生き生きと走ってくれる。
途中、国道から南に入り、善定(ぜんじょう)という集落に入る。この集落の最も奥にあるのが松尾神社である。
善定自体が、山奥の農村地帯である。その更に奥にある松尾神社には、人の気配は全くない。
私は境内に入った瞬間に、はっと神威のようなものを感じた。私は、霊感のようなものを信じないが、この神社にいる間は、誰かに見守られている感じがした。
松尾神社には、神社の由来の説明板も何もないので、創建がいつで祭神が誰かというのがさっぱり分からない。後でネットで調べると、祭神は木花開夜媛命(このはなのさくやびめのみこと)だと分かった。
この神様、天孫降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻で、初代神武天皇の曾祖母である。
なぜここに、木花開夜媛命が祀られているのか、由来は分からない。
ところが、本殿の屋根の上の千木(屋根の上でXに交差している木)を見ると、先端が地面に対して垂直に切られている。ということは、元々は男神が祀られていたことになる。
千木の先端が地面に垂直に切られていれば、祭神は男神であり、水平に切られていれば祭神は女神である。この本殿がいつ建てられたものかは分からないが、明治時代に入ったころ、各地の神社の祭神が整理統合されて、祭神が入れ替わった神社も多い。松尾神社の祭神も、元は男神だったのではないか。
この神社を囲む山は、県天然記念物のシリブカガシ社叢林となっている。
シリブカガシは、近畿地方以南の山地に分布するブナ科の常緑樹である。シリブカガシ林は、西播地方では珍しいため、天然記念物に指定されている。
また、松尾神社には、農村歌舞伎の舞台が設置されている。
この舞台は、明治初年の建築で、当時は毎年春秋の2回、祭礼に際して歌舞伎芝居が奉納されていたらしい。
もう使われなくなって久しいと思われる朽ちようだ。日本の芸能は、元はと言えば、神々に喜んでもらうために神前で演じるものであった。今の日本の各地の神々は、奉納芝居がなくなって退屈していることだろう。
さて、松尾神社から立ち去り、国道179号線を更に進み千本(せんぼん)という集落に入る。ここは、江戸時代の因幡街道の宿場で、大名が宿泊した築300年の本陣が残る。内海家住宅である。今は千本本陣という店名の蕎麦屋の建物として利用されている。
案内板によれば、文化十年(1813年)には、伊能忠敬がここに宿泊したそうだ。
内海家住宅から、千本の集落内を西に行くと、栗栖(くりす)廃寺跡がある。今は納屋が建つこの場所に、奈良時代には寺院が建っていたようだ。
栗栖廃寺跡からは、奈良時代の鬼瓦が3枚出土している。そのうち2枚は、近くの浄福寺に保管されているが、もう1枚は、たつの市立埋蔵文化財センターに展示してある。
この鬼瓦、表情がおおらかで大陸風である。奈良時代は、日本が遣唐使をたびたび派遣し、大陸と結びついていた時代である。国際色豊かな時代であった。
どこか大陸の砂漠地帯を思わせる品が、奈良時代に、こんな日本の鄙びた寺の屋根の上に載っていたと思うだけで、何だか気分がほころんでくる。