龍野の中心街から揖保川沿いに北上し、新宮町との境に差し掛かると、揖保川左岸にところどころ岩壁がむき出しになっている岩山が見えてくる。鶴嘴山という岩山である。
この山肌の岩を削って、摩崖仏が彫られている。觜崎(はしさき)摩崖仏という。摩崖仏は、揖保川を見下ろす場所に彫られている。
舟形の光背の右下に銘があり、文和三年10月に藤原某の何回忌に当たり彫られた、という内容のことが書いてあるそうだ。
ささやかな摩崖仏だが、銘が残っている摩崖仏としては兵庫県最古で、兵庫県の史跡になっている。
蔦が伸びて顔が隠れてしまっているが、これもご愛敬だろう。
光背の周囲に穴が開いているが、以前はここに柱を挿して、庇を備え付けていたと思われる。
おそらく揖保川を上下した過去の船人達は、この摩崖仏を見て心を落ち着けたことだろう。
觜崎摩崖仏は、全部で5体ある。1体は単独で彫られているが、その少し北の岩肌に、他の4体の摩崖仏が身を寄せ合うように彫られている。
摩崖仏の作者は、大きな岩壁を見て、ここに何かを彫りたいと思ったのだろう。
揖保川の対岸には、摩崖仏を拝むための拝殿が建っている。
さて、摩崖仏の少し北には、国の天然記念物の屏風岩がある。
鶴嘴山の岩は、柔らかい石英粗面岩であるが、その間に硬い安山岩が挟まっている。長年の風化作用で、石英粗面岩が削れて、安山岩が残って、屏風を立てたようになっている。これが屏風岩である。
木が生い茂ってわかりにくいが、写真中央の岩肌がむき出しになっている部分が屏風岩である。木が枯れる冬場の方が、分かり易いだろうか。
屏風岩を間近で見るには、山に登らなければならない。
山の南端に古宮神社という小さな社があるが、その参道が登り口となっている。
登り始めると、雨が降り始めた。RX100が濡れないように気遣いながら登ることとなった。
ところどころ岩肌が露出していて、私の趣味ではないが、気分はロッククライミングになってきた。
ある程度登って、振り返ると、眼下に揖保川と龍野北部の街並みが見えた。
標高は100メートルほどだと思うが、そんな高さでも日常を忘れるような景色を楽しむことが出来る。
さて、さらに登ると屏風岩の頂上部分が見える。
屏風岩の頂上付近は、柱状節理になっていて、見方によっては人工物のようにも見えるが、正真正銘、自然の造形物である。
屏風岩頂上に立つと、柱状節理がよくわかる。
屏風岩の幅は5~7メートルで、山頂から麓まで約150メートル帯状の岩が垂れている。
実はこの屏風岩、8世紀初頭に編纂された「播磨国風土記」に記載がある。
「播磨国風土記」御橋山の条に、大汝命(大国主命)が、米俵を積んで天に登る橋を作ったと書かれている。御橋山が、觜崎屏風岩に比定されている。
古代人は、当時の知識では計り知れない自然の造形を見て、神の御業と怖れ畏んだ。
今日は史跡巡りらしい記事ではなかったが、古代人が神の御業になぞらえた自然の造形物を見ると、自分の史跡巡りもちっぽけなものに思えてくる。