室津から国道250号線を東に走る。前を走る軽トラがスローペースなので、帰りの七曲りはあまり楽しめない。それでもすぐに、次の目的地に着く。
姫路市網干区浜田812番地にある、臨済宗妙心寺派の龍門寺。ここは、江戸初期に「不生禅」を唱えた盤珪禅師の根本道場である。
盤珪禅師は、元和八年(1622年)~元禄六年(1693年)の間を生きた、現在の姫路市網干区浜田出身の禅僧である。厳しい修行を重ね、ある時、一切事は「不生」の一字で調うことに気づき、徹底大悟したという。
盤珪禅師は、人は生まれながらにして不生不滅の仏心をもつと説き,形式的な座禅修行を否定し,日常生活そのものが座禅に通じると,地元の民衆に通俗平易な言葉で教えさとした。
龍門寺の創建は、寛文元年(1661年)のころで、今残る建物は、大体がその当時建てられたものである。壮大な伽藍が並ぶが、国の重要文化財に指定されているものはない。
寺内は、手入れが行き届いて、禅の道場に相応しい佇まい。敷地東側には、庭園があり、園内の所々に紫陽花が咲いていた。
龍門寺で最も古い建物は、庫裏である。延宝三年(1675年)の建立である。
庫裏に近づくと、住職らしき僧侶が、大方丈の見学を勧めてきた。拝観料500円である。お金を払い、大方丈に入る。
大方丈の中は、広々としている。狩野派の絵師が描いた襖絵が立てかけられている。
禅寺は、色彩で言うと、基本的に白と黒で構成されている。見ているだけで、六根清浄という仏語を思い出させるほど、気持ちがすっきりしてくる。
大方丈の奥に、盤珪禅師自らが20年かけて彫刻したと伝えられるご本尊、十一面観世音菩薩坐像が祀られている。
黒と白が基調をなす龍門寺の伽藍の中で、中央に華麗な金色の仏像がある。この華麗な色に、修行の果てに見える景色が象徴されている気がする。禅は決して墨絵のような地味な世界ではない。
私は、かつて道元の「正法眼蔵」を読んだが、第一「現成公案」の末尾で、
佛家の風は、大地の黄金なるを現成せしめ、長河の蘇酪を參熟せり。
と書いている。蘇酪は、牛乳を発酵させた美味な食べ物のことである。
悟りを開き、真実に目覚めれば、大地が黄金であり、揚子江が蘇酪であることに気づくという意味だろう。世界は存在するだけで尽きせぬ楽しみに満ちているということか。
道元は日本曹洞宗の開祖で、盤珪とは宗派が異なるが、異なるのは修行の方法だけで、考え方は同一だろう。
仏教は、宗教というよりも、角度を変えて世の中を見てみる思考実験のようなところがあると思うが、見方を変えれば、世知辛い世の中も、実は極楽なのかも知れない。