室津 後編

 室津のシンボルとも言うべき賀茂神社に行く。海に突き出た岡の上に社殿がある。

 賀茂神社の創建は、この地が平安時代に、京都の賀茂別雷神社上賀茂神社)の直系御厨になった時と伝えられる。御厨とは、神饌を調進するための領地のことである。つまりここは、賀茂別雷神社神領であったのだろう。

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賀茂神社四脚門

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四脚門の獅子の彫刻

 神社の四脚門の手前には、朽ちた塀に囲まれた蘇鉄の一群がある。

 日本の北限の蘇鉄で、兵庫県の天然記念物となっている。

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北限の蘇鉄

 賀茂神社は、本殿 、摂社片岡社太田社本殿、摂社貴布禰社若宮社本殿、摂社榲尾社本殿、権殿、唐門、東回廊、西回廊が国指定重要文化財になっている。しかし、社殿敷地に入って、愕然とした。檜皮葺の唐門、東回廊、西回廊が修理中だったのである。

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修理中の社殿

 シートで覆われているのが、国重文の唐門、東回廊、西回廊である。この向こう側に、本来なら、本殿以下の5つの社殿が並んでいるのが見えるはずである。

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本来の社殿の姿(wikipediaより引用)

 今後、史跡巡りをしていく過程で、このようなアクシデントに遭遇することは多々出てくるだろう。日本の建物の中でも、神社建築に多い檜皮葺は、どうしても痛みが進みやすく、修復のサイクルも短い。

 残念だが、気を取り直し、社殿の裏側に回る。本殿以下の5棟は、修復が終わったのか、美しい檜皮葺の傾斜した屋根を見せてくれた。

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一番右が本殿。

 流造の社殿が5つ並ぶ姿は、五社造りとも呼ばれる。丁度紫陽花の季節で、本殿裏手に咲く紫陽花を見て心を慰めた。

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本殿裏手に咲いた紫陽花

 賀茂神社からは、元禄十二年(1699年)の棟札が見つかっている。今の建物は、それくらいの時期に建て替えられたものらしい。

 平安時代から1000年近く室津の民と船の無事を見守ってきた神様には頭が下がる思いだ。

 さて、賀茂神社から、少し歩くと、浄土宗清涼山浄運寺がある。ここは、法然上人の高弟信寂上人が文治元年(1185年)に開いたとされるお寺である。

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浄運寺の門。

 建永二年(1207年)、讃岐へ配流途中の法然上人が室津に立ち寄った。そこで、自身の罪深さに悩む遊女友君に出会い、友君に専心に南無阿弥陀仏の念仏を唱えることを教え諭した。友君は出家し、信心堅固に念仏を唱え、往生したとされる。

 遊女友君は、木曽義仲の側室山吹御前の成れの果てとも伝えられる。しかし、山吹御前の伝承地は、日本各地にあり、どれが本当か分からない。

 浄運寺の前には、友君の塚が建っている。瀬戸内海を真下に眺めることができる場所

だ。

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友君の塚。

 友君が山吹御前だというのは、伝説に過ぎないと思う。一遊女でありながら、こんな塚の下に葬られた友君という女性は、周囲から敬われた信心深い女性だったのだろう。

 海からの柔らかい風を感じながら、こんな場所で永久の眠りにつく女性を、少し羨ましく思った。