街道

養父市大屋町蔵垣・大杉地区

城の山古墳と池田古墳の見学を終え、一路兵庫県養父市大屋町を目指す。 大屋町は、山に囲まれた谷間に集落が点在する農村地帯である。 この大屋町の蔵垣、大杉地区は、江戸時代から養蚕業が盛んである。 宝暦三年(1753年)、蔵垣に生まれた上垣守国は、明和…

竹田城跡 前編

6月20日で、私の住む兵庫県に出ていた新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が終わった。 そのため、4月24日以来控えていた史跡巡りを再開した。 今日訪れたのは、久々に但馬である。スイフトスポーツで播但連絡道路を北上し、和田山ICで下…

智頭宿 後編

智頭宿と言えば石谷家住宅だが、その近辺にも風情ある民家が立ち並んでいる。 智頭宿の民家 智頭宿の庄屋であった石谷家は、塩屋という屋号を持っていた。 塩屋本家の石谷伝三郎の次男吉兵衛が、天保年間(1831~1845年)に別家を立てて店を起こし、塩屋出店…

智頭宿 前編

智頭宿は、江戸時代に宿場町として栄えた町である。 鳥取藩池田家の参勤交代の行列が江戸に往来する際は、この町の本陣に杖を留めた。 智頭宿 鳥取城下から智頭宿に至れば、ここから道は二股に分かれる。現在の国道373号線を通って志戸坂峠を越えて播州姫路…

志戸坂峠

私の住む兵庫県に新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が発令されたのが、今年の4月25日である。 その前日の4月24日に、因幡の史跡巡りをした。暫くその日に訪れた史跡の記事を書いていきたい。 今日紹介するのは、かつて鳥取藩池田家の参…

柳原蛭子神社 福海寺

能福寺から北西に向かって歩き、阪神高速道の高架を潜り、その先にある神戸市兵庫区西柳原町にある柳原蛭子神社を訪れた。 柳原蛭子神社 柳原蛭子神社は、地元では「柳原のえべっさん」と呼ばれている。えびす神は、七福神の一柱で、釣竿を持ち鯛を抱えた姿…

来迎寺 札場の辻跡 岡方惣会所跡

大輪田泊の石椋のすぐ北東に、浄土宗の寺院、来迎寺(築島寺)がある。 地名で言うと、神戸市兵庫区島上町2丁目に建っている。島上町は、承安年間(1171~1175年)に、平清盛が造った人工島の経ヶ島の上に出来た町である。 来迎寺は、元々はここから北西の…

若桜の寺院2

西方寺を出て寺通りを更に南に歩く。 浄土宗の寺院、寿覚院がある。 寿覚院 本堂 本堂向拝下の彫刻 寿覚院の元となる寺は、浅井山中腹の寺谷という地にあったらしいが、慶長九年(1604年)に、若桜鬼ヶ城主・山崎家盛の妻が帰依し、寺を若桜宿古寺ノ元に移し…

伊勢道

若桜は播磨から鳥取城下に抜ける因幡街道沿いの宿場町である。 若桜から南に行けば播磨だが、東に行けば但馬に抜ける。 若桜から但馬に抜ける道は、氷ノ山道若しくは伊勢道と呼ばれてきた。因幡から伊勢神宮に詣でる人たちが、この道を通ったからそう呼ばれ…

口銀谷

私は、神戸市西区の太山寺を訪問して、播磨の史跡巡りを終えたが、これはまだ長い旅路の一歩に過ぎず、これから播磨に隣接する国々の旅が続く予定である。 播磨に隣接する国は、摂津、丹波、但馬、因幡、美作、備前、淡路の7カ国があるが、この内、備前、美…

旧梶村家住宅 前編

城下町津山は、慶長八年(1603年)に、森蘭丸の末弟・森忠政が、信濃国川中島より美作18万6500石に封ぜられ、その後歴代藩主が町づくりをしたことで形成された。 忠政は、慶長九年(1604年)、鶴山に城を築くことを決め、鶴山の地名を津山に改めた。 津山城…

美咲町 本経寺

新型コロナウイルス対策のために発出された緊急事態宣言のため、史跡巡りは自粛中である。 宣言前に訪問した史跡は、今回紹介する本経寺で最後である。今日以降は、史跡の紹介は暫く休むことになる。 柵原鉱山資料館から西に行ってすぐの場所にあるのが、顕…

三木市 法界寺 本要寺

兵庫県三木市東這田にある虚空山法界寺は、浄土宗の寺院である。 ここは、三木城を拠点とした戦国武将別所長治が埋葬された寺院である。 法界寺 法界寺は、天平四年(732年)に行基菩薩が開基したとされている。行基が聖武天皇の勅を奉じて全国を行脚してい…

築山古墳 備前福岡

竹久夢二生家から北東に走る。 岡山県瀬戸内市長船町西須恵にある築山古墳を訪れる。 築山古墳 築山古墳は、全長約82メートルの前方後円墳である。5世紀後半から6世紀前半にかけての古墳とされている。写真右側が後円部となる。 明治40年(1907年)に後円…

小原宿

伝宮本武蔵宅跡から北に行くと、左手に竹山が見えてくる。武蔵の父と伝えられる平田無二斎が仕えた新免氏の居城跡のある山である。 標高430メートルの竹山であるが、山頂まで舗装路が続いている。 竹山城登り口 ZC33Sで山頂まで走った。山頂には、車を置ける…

土居宿

今回、播磨、備前に次いで美作に足を踏み入れた。史跡巡りを始めてから訪れた3つ目の国である。 畿内と出雲との間を結ぶ出雲街道の土居宿は、幕府の命により、慶長年間に津山藩主森忠政によって整備された。 土居宿は、播磨から美作に入って最初の宿場町で…

三石

ついに当ブログも県境を越えて、岡山県に入ることとなった。 この勢いで、いずれ全国制覇を成し遂げたいが、距離が伸びればそれだけガソリン代や高速道路代や宿泊代がかかるので、自宅から離れれば離れるほど、史跡巡りの勢いは衰えてくる。全国制覇の前に私…

平福

兵庫県佐用郡佐用町平福は、江戸時代に、因幡街道沿いの宿場町として開けた。 慶長五年(1600年)に、平福を見下ろす利神(りかん)城城主となった池田由之が、宿場町平福を整備した。江戸時代には、因幡街道随一の繁栄を誇ったという。 今でも、平福の千種…

三日月

かつて兵庫県佐用郡三日月町という自治体があったが、平成17年に、佐用郡佐用町に合併された。 旧三日月町周辺は、江戸時代には三日月藩という藩が領域支配していた。 三日月藩乃井野陣屋跡 元禄十年(1697年)、幕府は、津山藩森家の改易に伴い、分家の森長…

姫路市龍野町界隈

姫路城の周辺には、城下町の風情を残す町名が残っている。 小利木町、鷹匠町、農人町、小姓町、龍野町、鍵町、材木町・・・。 特に龍野町は、旧西国街道に面しており、かつては格子窓や虫籠窓を持った町屋が立ち並ぶ、古くからの城下町の味わいを残した町だ…

新宮町ところどころ

山川出版社「歴史散歩シリーズ」に記載している史跡を全部巡ろうとすると、相当マイナーな史跡を巡ることになる。 個人的に全く興味がない史跡でも、「歴史散歩」に載っているから、とりあえず行ってみる、というのも一つの冒険である。結果、予想外の好印象…

網干 魚吹八幡神社

地名にも歴史の痕跡は残っている。過去の歴史が忘れられても、地名だけはそのまま使われ続ける。地名の由来を調べると、今まで知らなかったことを知ることができる。 例えば、姫路市には、飾磨区、広畑区、網干区、勝原区、余部区、大津区という、区がつく地…

龍野街歩き 前編

龍野城の敷地の中に、たつの市立龍野歴史文化資料館がある。 龍野歴史文化資料館 資料館には、たつの市内の遺跡から発掘された史料や、脇坂家の遺物などが展示されている。 大体、どこの歴史資料館に行っても、展示物のパターンは決まっている。石器に始まっ…

正條の渡し

道はどこまでも続いている。アスファルトで覆われた道は四通八達し、今や日本のあらゆる場所に車で行けるようになった。 しかしそうなったのも、モータリゼーションが盛んになった昭和40年代以降で、昭和30年代までは、舗装された道路はほとんどなかった。 …