2022-08-01から1ヶ月間の記事一覧
客殿の先には、八十八段の石段があり、その上に蓮台寺奥の院権現堂がある。 奥の院権現堂の参道 石段の手前には、鐘楼堂があり、巨大な梵鐘がかかっている。 鐘楼堂 鐘楼堂の龍の彫刻 梵鐘 新型コロナウイルス感染防止のため、鐘楼堂内への立ち入りは出来な…
蓮台寺客殿の拝観客用入り口から建物内に入る。黒光りのする床板が敷かれた広々とした空間が広がる。 拝観客用入り口 入り口から奥に進むと薬師如来座像が出迎えてくれる。 薬師如来坐像 客殿内には、見事な障壁画で飾られた座敷が複数ある。中には、江戸時…
御影堂から南に歩き、石段を上がっていくと、蓮台寺多宝塔がある。 多宝塔への石段 多宝塔 蓮台寺多宝塔は、私が史跡巡りで訪れた9番目の多宝塔である。 この多宝塔は、天保十四年(1843年)に再建されたものである。この前に建っていた多宝塔は、寛文十年…
由加神社本宮の東側には、真言宗の宗祖・弘法大師空海を祀る御影堂がある。御影堂に祀られていた弘法大師像は、今は蓮台寺総本殿に祀られている。 御影堂 由加山の伽藍は、元禄十三年(1700年)の大火で、今の由加神社本宮の本殿以外全て焼けてしまったので…
由加神社本宮の拝殿の下には、縁結びの神様を祀っている。拝殿下に回廊があり、そこを巡れば、誰かと縁を結ぶことが出来るそうだ。 私は縁結びではなく、史跡巡りの無事を祈った。 拝殿下の回廊 縁結び獅子 回廊には、男性用と女性用の縁結び獅子が2体設置…
倉敷市児島由加にある由加山は、古くから神仏習合の神様である瑜伽大権現を祀り、厚く信仰されてきた山である。 天平五年(733年)、行基菩薩がこの地を訪れ、阿弥陀如来、薬師如来の二尊を本地仏とする瑜伽大権現を祀ったのが、由加山蓮台寺の始まりである…
由加山に向かう途中、倉敷市曽原にある清田八幡神社に立ち寄った。 清田八幡神社鳥居 清田八幡神社は、児島の総鎮守とされ、備前の八幡三古社の一つと言われている。 社伝によれば、清田八幡神社は、現在地から北の粒江の田槌の浦にあったが、清滝山中を経て…
昨日紹介した乗り出し岩から海に入った佐々木盛綱は、岡山県倉敷市粒江にある真言宗の寺院、種松山西明院の辺りに上陸したという。 乗り出し岩と西明院の中間地点くらいに、浮洲岩の碑がある。 浮洲岩の跡 この辺りは、かつては藤戸海峡の浮島で、アマモなど…
陣屋町有城から少し西に行くと、笹無山という小さな丘がある。 笹無山 この小さな丘は、佐々木盛綱に対して、平家が布陣する対岸に渡ることができる浅瀬の存在を教えた漁師の悲劇に関連がある。 藤戸海峡を挟んだ対岸に布陣する平氏方を攻めあぐねていた源氏…
海禅寺から南に行くと、日蓮宗の寺院、恵光山正福寺がある。 恵光山正福寺 この寺の山門は、下津井城の城門を移築したものであるという。 正福寺山門 正福寺の山門は、意外と小ぶりな山門である。こんな城門を持った下津井城は、ささやかな城だったのだろう…
岡山県倉敷市藤戸町天城は、岡山藩家老池田氏が陣屋を置いて治めた陣屋町であった。 江戸時代には、所領が3万石以下の小藩は、城を持つことが許されず、藩庁として陣屋と呼ばれる建物を建てた。 上級旗本や大藩の家老も所領に陣屋を置いた。 岡山藩家老池田…
藤戸寺の北側を流れる倉敷川の上に、盛綱橋という橋が架かっている。 この橋は、平成元年に再建されたものだが、再建の際、橋の上に海を渡る馬上の佐々木盛綱の銅像が設置された。 盛綱橋 盛綱橋上の佐々木盛綱の銅像 佐々木盛綱が実際に藤戸海峡を渡ったと…
7月17日に備前の史跡巡りを行った。源平藤戸合戦の古戦場を巡る旅となった。 寿永三年(1184年)二月に、一の谷の合戦で大敗した平氏は、水軍に頼って西に逃れ、備前国藤戸の地に拠った。 現在、藤戸と天城の間には倉敷川が流れているが、ここは寿永の当時…
由良要塞跡の見学を終えて、神戸淡路鳴門自動車道洲本インターチェンジ付近まで戻った。 インターから西に進むと南あわじ市に入る。 南あわじ市広田広田の集落に入ると、その奥に広田の鎮守である広田八幡神社がある。 広田八幡神社 小高い丘の上に社殿があ…
第一、二砲台には、28センチメートル榴弾砲が設置されていた。 榴弾砲は、弾道が放物線を描いて山形になるため、敵艦の上部を破壊するのに適していた。 榴弾砲の弾道 また弾の落下速度が速ければそれだけ破壊力が増すので、標高が高い場所に据えられた。 第…
生石公園第一駐車場から木製の階段を登って、第五砲台を目指した。 第五砲台に続く階段 生石公園の全体図 第五砲台は、標高88.5メートルに位置する、第四砲台を小型化したような砲台である。 第五砲台は、5つの砲台の中で最後に作られた砲台である。第一~…
今に残る由良要塞跡の遺構の多くは、成ヶ島の南側にある生石(おいし)山に集中している。 生石山 生石山上の由良要塞跡遺構は、生石公園という公園の中にある。山上までの自動車路や駐車場、散策路が整備されている。散策路を歩きながら、遺構を見学できる…
紀淡海峡を西側から扼する要衝に当たる由良の地には、幕末になって、外国船の侵入から大坂湾を防衛するための台場(砲台)が築かれた。 特に成ヶ島南端の高崎台場には、大規模な砲台が築かれたそうだ。 由良要塞跡の石碑 日清戦争後の明治29年(1896年)には…
南北朝の争乱の真っ只中だった観応元年(1350年)、紀州熊野水軍を率いる安宅氏は、室町幕府将軍足利義詮から、南朝方だった淡路水軍の討伐を命じられた。 安宅氏は淡路に渡り、島内で紀州に最も近い由良に拠点を築き、勢力を拡大した。 安宅氏が築いた由良…
洲本城跡のある三熊山から麓に下りて、洲本市千草にある真言宗の寺院、満泉寺に赴いた。 満泉寺 この寺には、延享二年(1309年)の銘のある鰐口があるそうだ。 勿論公開していなかったので、見学は出来なかった。 私がこの寺を訪れた時は、六角堂で住職が法…
西の丸から本丸跡の石垣下に戻った。 天守台の艮(北東)の方角に、八王子神社という小さなお社が祀られている。 八王子神社鳥居 実はこの日、洲本の史跡巡りを始めてから、愛用カメラRX100の調子が悪くなった。 通常であれば、シャッターを半押しすれば、オ…