2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧

炬口八幡神社 春陽荘

兵庫県洲本市下加茂2丁目付近は、弥生時代前期の水田跡や、中期の周溝墓が発掘された下加茂遺跡があった辺りである。 下加茂遺跡のあった辺り しかし今は遺跡があったことを示す表示はない。 下加茂1丁目にある蒼開高等学校は、かつて柳学園高等学校と呼ば…

西北山蓮光寺 芽黒竹

先山から下りて次なる目的地に向かう。 兵庫県洲本市下内膳にある洲本市立加茂小学校の周辺は、弥生時代の前期から後期にかけての集落跡のあった下内膳遺跡が発掘された場所だが、遺跡があることを示す案内板等はない。 下内膳遺跡周辺 ここから西に行き、洲…

先山千光寺 後編

山門を潜ると、すぐ右手に三重塔がある。 私が史跡巡りで訪れた23番目の三重塔である。淡路では初めて見た三重塔である。恐らく淡路唯一の三重塔だろう。 三重塔 この三重塔は、文化十年(1813年)に高田屋嘉兵衛らの尽力により再建されたものである。 1階…

先山千光寺 前編

3月12日に淡路の史跡巡りを行った。 今回訪れるのは、淡路島内の中心都市である洲本市の史跡である。 淡路には、縄文時代から弥生時代にかけての遺跡が多くある。兵庫県洲本市安乎(あいが)町平安浦に、縄文時代前期から晩期にかけての遺跡である安乎間所…

生田神社 後編

生田神社境内の北東には、生田稲荷大明神がある。 奉納された赤鳥居が、社殿までずらりと並んでいる。 生田稲荷大明神 狛狐 お稲荷さんは、日本全国に隈なく祀られている神様だが、どうも他の神様とは棲んでいる世界が違うような気がする。 生田稲荷大明神の…

生田神社 中編

生田神社の社殿は、昭和20年の神戸大空襲で焼失した。今ある建物は戦後に建てられたものである。 拝殿は、平成7年の阪神淡路大震災で全壊した。 私は、平成8年6月の神戸新聞の一面に、生田神社拝殿復興の記事が載っていたことを、今でも憶えている。 拝殿…

生田神社 前編

三宮神社から北上し、神戸市中央区下山手通1丁目の生田神社に向かった。 生田神社は、正月には兵庫県で最多の初詣客を集める、兵庫県を代表する神社の一つである。 途中、繁華街の生田ロードを歩くが、生田ロードの南端に生田神社の赤鳥居がある。 赤鳥居 …

三宮神社

神戸らんぷミュージアムを出て、神戸市中央区三宮町2丁目にある三宮神社まで歩いた。 三宮神社 神戸には、厄除八社と呼ばれる八つの神社があり、それぞれ一宮から八宮の名で呼ばれている。 神戸の厄除八社 一宮神社から八宮神社までの祭神の内、大己貴尊を…

神戸らんぷミュージアム 後編

石油ランプと同じく、明治になって日本に上陸したのがガス灯である。 明治5年(1872年)、フランス人技師ブレグランの指導の下、横浜で日本初のガス灯が点灯された。 明治7年(1874年)には、東京新橋や神戸居留地にガス灯が設置された。 ガス灯は、当初は…

神戸らんぷミュージアム 中編

昔使われた照明具として思い浮かぶのはロウソクだが、実は江戸時代までロウソクは非常に高価で、庶民にはとても手が出せるものではなかった。 今では石油パラフィンを使った安価なロウソクが大量生産されているが、昭和初期まで作られていた和ろうそくは、ハ…

神戸らんぷミュージアム 前編

東遊園地から歩いて神戸市中央区京町に戻り、神戸らんぷミュージアムに赴いた。 神戸らんぷミュージアムのあるクリエイト神戸ビル 神戸らんぷミュージアムの看板 神戸らんぷミュージアムの入口 神戸らんぷミュージアムは、関西電力が経営していた灯りに関す…

海軍操練所跡 東遊園地

神戸市立博物館を出て、京町筋を南に歩くと、京橋に至る手前の左側に、史跡海軍操練所跡の碑が建っているのが見えてくる。ここは神戸市中央区海岸通17番地になる。 史跡海軍操練所跡の碑 文久三年(1863年)、摂津の海岸防備の準備のため、この地方を巡視し…

神戸市立博物館 後編

神戸市立博物館の1階に降りると、無料で見学できる神戸の歴史展示室がある。 古代から戦後までの神戸の歩みを学ぶことが出来る。特にジオラマの展示が見応えがある。 五色塚古墳の模型 神戸市垂水区にある兵庫県内最大の前方後円墳、五色塚古墳の模型は、か…

神戸市立博物館 中編

コレクション展示室の古地図や名所図会(ずえ)のコーナーに入った。 目につくのは、17世紀に作成された「大坂から長崎迄航路図」である。 「大坂から長崎迄航路図」には、紀伊から淡路、四国を通って鹿児島経由で長崎に行く南側ルートと、瀬戸内海から玄界…

神戸市立博物館 前編

旧居留地のほぼ中心に位置する神戸市中央区京町にあるのが、神戸市立博物館である。 ここは、神戸市内から発掘された考古資料や、南蛮美術、古地図のコレクションなどを数多く収蔵し、展示する博物館である。 神戸市立博物館 神戸市立博物館の建物は、昭和10…

旧居留地 後編

明治32年(1899年)の条約改正で外国人居留地は廃止されたが、大正から昭和にかけて、旧居留地地域には、ビルが数多く建設された。 昭和初期の旧居留地の模型 震災で打撃を受けたが、今でも旧居留地には、大正から昭和初期に建設されたレトロビルが多数残っ…

旧居留地 前編

慶応三年(1867年)に日本と通商条約締結国五ヶ国との間に結ばれた、「兵庫港並びに大坂に於て外国人居留地を定むる取極」により、北は旧西国街道、西は鯉川、東は旧生田川、南は海岸に囲まれた区域を外国人居留地とすることが決まった。 外国人居留地には、…

相楽園 後編

かつて相楽園に建っていた旧小寺邸の本邸は神戸大空襲によって焼け落ちてしまった。 その代わり、という訳でもないだろうが、昭和38年に神戸市中央区北野町のいわゆる異人館街から相楽園に移築されたのが、旧ハッサム住宅である。 旧ハッサム住宅 旧ハッサム…

相楽園 前編

神戸市外国人墓地の見学を終えると、再度山ドライブウェーを使って再び市街地に下りて来た。 次に訪れたのは、神戸市中央区中山手通5丁目にある和風庭園、相楽園である。 相楽園の塀 相楽園は、神戸市長小寺謙吉の父小寺泰次郎が、明治18年に私邸として建設…

再度公園 神戸市外国人墓地

大龍寺の参拝を終えて、スイフトスポーツを駆り、再度山北側の再度公園に赴いた。 再度公園は、昭和12年に開設された公園で、六甲山の峰を越えた北側にある。地名では、神戸市北区山田町下谷上になる。 この一帯は、かつて空海が入唐前と帰朝後に訪れて、修…

再度山大龍寺 後編

大龍寺の背後の再度山を登っていくと、途中弘法大師を祀る奥の院があり、更にその上に弘法大師自作の亀石がある。 本堂前の石に彫られた案内に従って、奥の院に向かうことにした。 奥の院への案内 本堂の東側には、不動明王を祀る不動堂がある。 不動堂 不動…