2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧

再度山大龍寺 前編

2月20日に神戸の史跡巡りを行った。 最初に訪れたのは、再度山(ふたたびさん)大龍寺である。ここは真言宗の別格本山である。 再度山は、六甲山系の一峰で、標高は約470メートルである。大龍寺は、この山の中腹にある。 山門 狭く曲がりくねった再度山ドラ…

ZC33S スイフトスポーツ 三年経過

私がZC33Sスイフトスポーツを購入してから3年が経過した。 今まで、1年経過する度にスイスポに関する記事を書いてきた。今後も、1年毎に記事を書いていきたい。 この1年間で変化があったことは、スイスポのタイヤを交換し、初めての車検を受けたことであ…

岡山市 興除神社

藤田神社から南西に車を走らせ、次なる目的地の興除(こうじょ)神社に向かった。 興除神社は、岡山市南区中畦(なかうね)にあるが、この一帯は、文政四年(1821年)から文政六年(1823年)にかけて開発された興除新田と呼ばれる干拓地である。 児島湾に干…

岡山市 藤田神社 

現在の児島半島は、江戸時代に入るまでは、児島という島であったが、江戸時代初期の干拓事業により本州と陸続きになった。 池田藩政時代には、児島湾の干拓が続き、広大な新田が造られた。児島湾干拓事業は、明治時代に入っても続いた。 今回から連続して、…

今村宮

宗忠神社から西に500メートルほど行った、岡山市北区今4丁目にあるのが、今村宮(いまむらぐう)である。 今村宮 今村宮参道 今村宮の起源は、元弘三年(1333年)にこの地に創建された今村八幡宮である。 戦国時代に宇喜多直家が岡山城を拡張するに際し、内…

宗忠神社

金川の史跡巡りを終えて南下し、次なる目的地である宗忠神社に向かった。 今回紹介する宗忠神社は、当ブログで初めて紹介する新宗教の史跡である。 江戸時代後期に、黒住教、金光教、天理教という3つの教派神道が誕生した。この黒住教の開祖である黒住宗忠…

玉松城跡 後編

北の丸跡から本丸跡に向かう。本丸跡は広々とした曲輪である。 本丸跡 本丸跡には、石垣の石か建物の礎石と思われる石が転がっている。その石の上に、古い瓦が置かれていた。 石の上の瓦 城の建造物の痕跡が、僅かながらここに残っていた。 また、本丸跡には…

玉松城跡 前編

金川の町の北側に聳える臥龍山上に築かれた玉松城(金川城)は、戦国時代に西備前に覇を唱え、最後は宇喜多直家により滅ぼされた松田氏が拠点にした城跡である。 臥龍山 松田氏は、元々は相模国に住む御家人だったが、承久三年(1221年)の承久の乱の戦功に…

岡山市 七曲神社

妙覚寺の裏手にある臥龍山の麓にあるのが七曲(ななまがり)神社である。 七曲神社 参道の狛犬 臥龍山頂の玉松城を拠点とした松田氏は、元々相模国の御家人であった。 承久の乱までは、鎌倉幕府の勢力は西日本には及んでいなかった。まだ西日本は朝廷の勢力…

龍華山妙覚寺

岡山市御津郷土歴史資料館の道路を挟んだ北側には、日蓮宗不受不施派の祖山、龍華山妙覚寺がある。 龍華山妙覚寺 日蓮宗不受不施派は、今まで何度か紹介したように、法華経信仰を正法とし、多宗派から布施を受けず、多宗派の寺院に対して参詣や布施をしない…

岡山市御津郷土歴史資料館

東武藤家の邸宅跡である「さかぐらKANAGAWA」の見学を終えると、次は西武藤家の邸宅跡に建つ岡山市御津郷土歴史資料館に向かった。 岡山市御津郷土歴史資料館 岡山県御津郡御津町が、武藤家から金川のシンボルでもあった西武藤邸を譲り受け、その土地に建て…

金川陣屋跡 武藤邸跡

岡山市北区御津金川の町は、江戸時代を通して岡山藩の家老日置(ひき)氏の所領であった。 日置氏は、金川に陣屋を置いて行政を司った。陣屋とは、所領3万石以下の大名や、大藩の家老、上級旗本が所領に置いた政庁のことである。 3万石以下の大名は、幕府…

角藤定憲 難波抱節

徳倉城跡から下山して、JR津山線野々口駅の近くにある角藤定憲(すどうさだのり)の墓に詣でた。 角藤定憲は、日本で初めて壮士芝居を興行した人物で、新派演劇の祖とされている。 角藤家の墓地 壮士芝居や新派と言われても、現代人には何のことだか分からな…

徳倉城跡

2月6日に備前方面の旅をした。 最初の目的地は、岡山市北区御津河内にある徳倉城跡である。徳倉城跡は、標高約232メートルの遠藤山の山頂にある。 遠藤山 遠藤山の麓には、天児屋根命を祀る徳蔵神社がある。 この神社には、天文年間(1532~1555年)に徳倉…

白巣城跡

八衢神社の参拝を終え、次なる目的地の白巣城跡に向かう。 白巣城跡は、兵庫県洲本市五色町鮎原三野畑の白巣山上にある。 白巣山 白巣山は、標高317メートルの低山だが、山頂は平らになっている。山頂部に、曲輪が連なった山城があるわけだ。 白巣城跡は、私…

鳥飼八幡宮 八衢神社

高田屋嘉兵衛の墓に詣でた後、スイフトスポーツに乗って南下し、洲本市五色町鳥飼中にある鳥飼八幡宮に参拝した。 鳥飼八幡宮 この辺りは、かつては鳥飼荘という名の石清水八幡宮の荘園であった。そのため、荘鎮守として八幡大神が勧請されたのだろう。 創建…

高田屋嘉兵衛 後編

高田屋顕彰館・歴史文化資料館には、高田屋嘉兵衛に関するもの以外の展示品もある。 寛政五年(1793年)十一月、石巻から江戸に向かう途中に遭難した若宮丸一行16名は、アリューシャン列島の一島に漂着した。 その地でロシア人に助けられた一行は、シベリア…

高田屋嘉兵衛 中編

高田屋顕彰館・歴史文化資料館に入ると、職員の案内で、先ず高田屋嘉兵衛の生涯を描いた映像作品の鑑賞を勧められる。 それを観終わってから、館内を見学した。 高田屋嘉兵衛の生涯は、蝦夷地(現在の北海道)の開拓と日露間の紛争解決に費やされた。 寛政十…

高田屋嘉兵衛 前編

かつて司馬遼太郎が「菜の花の沖」という小説に書き、江戸時代を通して日本で一番偉かった人物と評した高田屋嘉兵衛。 高田屋嘉兵衛の肖像画 この人物は、兵庫県洲本市五色町都志出身の豪商で、航海術や商才に長けていた。その能力を幕府に見込まれて、蝦夷…

平砂山浄土寺

淡路巨石巡りを終えて、兵庫県洲本市五色町都志(つし)にある真言宗の寺院、平砂山浄土寺に参拝した。 平砂山浄土寺 浄土寺の創建の詳細については、よく分からない。 ただこの寺院には、大宰府配流途上の菅原道真公が立ち寄ったという伝承が残っている。そ…

淡路巨石巡り 後編

山王神社の参拝を終え、車を西に走らせて、淡路市山田乙にある巨石・俵石に赴いた。俵石の中には、小さな祠が祀られている。俵石神社と呼ばれている。 俵石は、閉校になった淡路市立山田小学校の南側の山中にある。 俵石への道 俵石への案内表示 山田小学校…

淡路巨石巡り 前編

岩上神社の周辺には、古代から信仰されてきた巨石群が点在する。 まず訪れたのは、淡路市柳沢戊にある夫婦(めおと)岩である。 夫婦岩への遊歩道の入口 夫婦岩は、静かな農村地帯の中の低い丘陵上にある。丘の北西側に、夫婦岩に至る遊歩道の入口がある。 …