2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

牛窓町 本蓮寺 後編

本蓮寺の本堂は、明応元年(1492年)に再建されたものである。中門と同時代に建てられた。 正面五間、側面五間、寄棟造り、本瓦葺きの均整の取れた建物である。国指定重要文化財である。 本堂 この時代の寺院建築でよく見られる斗栱はなく、円柱の上に舟肘木…

牛窓町 本蓮寺 前編

旧牛窓警察署の裏山にあるのが、法華宗の寺院、本蓮寺である。 正平二年(1347年)、京都妙顕寺の大覚がこの地を訪れて法華堂を創建し、長禄二年(1458年)から本蓮寺の寺号を用いるようになった。 本蓮寺の境内は、朝鮮通信使遺跡として、国の史跡に指定さ…

牛窓の洋風建築

牛窓の街路は狭い。車1台がようやく通れる道が続く。 牛窓町牛窓にある、旧中国銀行牛窓支店を訪れる。ここは現在、観光案内の拠点、街角ミュゼ牛窓文化館として開放されている。 旧中国銀行牛窓支店 この建物は、大正4年(1915年)の建築物である。元々は…

牛窓神社 五香宮

岡山県瀬戸内市牛窓町牛窓から眺められる海は、日本のエーゲ海と呼ばれている。明るい陽光の下、波穏やかな瀬戸内海に、大小さまざまな島々が浮かぶ姿は、さもありなん、といったところだ。 牛窓は、古くから瀬戸内海航路の良港として知られている。 牛窓町…

明石市魚住町の寺院

吉田南遺跡から西に向かい、明石市魚住町長坂寺にある足留山遍照寺に行く。ここは浄土宗の寺院である。 遍照寺 推古天皇五年(597年)、当時の日本の同盟国百済の阿佐太子が来日した。 阿佐太子は、飛鳥の皇居にて聖徳太子と清談した後、明石浦魚住の泊より…

枝吉城跡 吉田南遺跡

吉田郷土館の裏手に小高い丘がある。昔枝吉(しきつ)城があった丘である。 麓には、神本神社という神社がある。 枝吉城跡のある丘 枝吉城跡登り口 吉田郷土館の裏に城跡への登り口がある。低い丘なので、すぐに頂上の城跡に至る。 枝吉城跡 頂上は、公園の…

王塚古墳 吉田郷土館

神戸市西区王塚台3丁目にある王塚古墳を訪れた。 当ブログも、ついに神戸市内に足を踏み入れたが、実は神戸市西区、垂水区の全域と須磨区、北区の一部は、播磨の区域内にある。王塚古墳のある場所も、播州の一部である。 王塚古墳は、第29代欽明天皇の皇女…

魚住の泊 明石原人

兵庫県明石市大久保町江井島にある江井島港は、沖に淡路島を望む風光明媚な漁港である。 江井島港は、行基菩薩が開いた摂播五泊と呼ばれる古代の港の一つ、魚住の泊があった場所である。 ちなみに摂播五泊は、室生泊(たつの市御津町)、韓泊(姫路市的形町…

中尾住吉神社

住吉神社に祀られる住吉大神は、航海の神である。神功皇后は朝鮮征伐の際、軍を率いて、摂津から船で瀬戸内海を通って筑紫まで行き、玄界灘を越えて半島に渡った。 途中、航海の安全を祈って、瀬戸内海沿岸各地に住吉大神を祀った。明石市魚住町中尾にある住…

明石市 威徳院 薬師院

兵庫県明石市二見町西二見にある威徳院は、真言宗の寺院である。 威徳院山門 行基菩薩が開基したと伝えられるが、正確なところは分からない。寺の歴史がはっきりするのは、寛永三年(1626年)に海雲上人が再興してからである。寺には、寛永二年の過去帳が残…

別府鉄道 愛宕塚古墳

兵庫県加古川市別府町にある肥料メーカーの多木化学株式会社は、以前は多木製肥所という名称だった。 多木製肥所は、製造した化学肥料を全国に出荷するため、別府鉄道という鉄道を運用していた。 播磨町郷土資料館には、別府鉄道に関する資料も展示してある…

兵庫県立考古博物館 後編

武器を作ってお互い争いあい、殺しあうのも人間世界の現実である。 戦争の発生は遺憾なもので、ないに越したことはないが、我々が共同体の利益を守るために争いあって勝ち残ってきた者たちの子孫であることもまた歴史の冷厳な現実である。 弥生時代の遺跡か…

兵庫県立考古博物館 前編

大中遺跡公園の中に建つ兵庫県立考古博物館は、兵庫県の遺跡から発掘された考古資料等を展示する博物館である。平成19年に開館した。 考古博物館は、高床式倉庫を模した塔を持つモダンな建物である。 兵庫県立考古博物館 館内は、無料ゾーンと有料ゾーンとに…

大中遺跡

昭和37年6月に、兵庫県加古郡播磨町の播磨中学校の生徒3名によって発見されたのが、播磨町大中にある大中遺跡である。 10年に渡る発掘によって、大中遺跡は、弥生時代後期(3世紀)を中心に栄えた集落遺跡であることが分かった。 3世紀と言えば、邪馬台…

播磨町 蓮花寺 

大塩平八郎の乱が世上を賑わした天保八年(1837年)、現在の兵庫県加古郡播磨町古宮に彦太郎という男子が生まれた。後、アメリカでジョセフ彦と改名した。 日本人として歴史上初めてアメリカの大統領と面会し、日本初の新聞を刊行した人物である。 彦太郎が1…

美作国分寺跡

当ブログでは、令和元年9月8日の「姫路市御国野町」の記事で、播磨国分寺跡を紹介したが、今回は美作国分寺と国分尼寺の跡を紹介する。 岡山県津山市日上の字人神(にんじん)は、国分尼寺の尼寺(にじ)が転訛した字名だと伝えられる。 人神バス停のあた…

美作滝尾駅 医王山城跡

何気なく行き過ぎる景色の中にも、突然メルヘンのような風景が現れることがある。 私にとって、JR美作滝尾駅舎はまさにそういう風景だった。 津山市と鳥取市を結ぶJR因美線は、山間の小さな集落の間を縫うように走るローカル線である。 津山市堀坂にある美作…

津山市 萬福寺 清瀧寺

岡山県津山市高野本郷にある日蓮宗の寺院・玄好山萬福寺を訪問する。 萬福寺 萬福寺本堂 この寺には、元禄十一年(1698年)に発生した惣百姓一揆である高倉騒動の中心人物・堀内三郎右衛門の墓がある。 美作国は、津山藩森家の所領であったが、農民は津山藩…

旧勝北町の史跡

美作地方の中心都市である津山市は、古くからこの地域の中心であったが、平成17年に、勝田郡勝北町、苫田郡加茂町、同阿波村、久米郡久米町と合併して現在の広大な市域となった。 今日は、合併して消滅した旧勝北町の史跡を紹介する。今は、勝北町の名を冠す…

日本原

岡山県勝田郡奈義町、同郡勝央町、津山市にまたがるように広がる台地を日本原という。 岡山県と鳥取県の県境に聳える那岐山の南側に広がる台地である。 日本原 正徳年間(1711~1716年)に、日本全国廻国巡礼を終えた福田五兵衛という人物が、広戸野と呼ばれ…

加東市 ところどころ

播州清水寺の参拝を終え、山下に降りて、県道を南西に進むと、加東市上鴨川に至る。 ここにあるのが、上鴨川住吉神社である。 この神社の入り口には鳥居がない。自然の樹木の間に注連縄をかけ、そこに紙垂の代わりに羊歯を下げている。 神社入り口 このよう…